ハクソー・リッジと那覇基地航空祭の旅#3(浦添ようどれ
                                        2018年 5月11日更新                                                                                                                                            

 為朝岩から降りて浦添城址霊園から退出し、道を少し北に進んで浦添城址に入ります。

 前田高地こと浦添城址は沖縄戦の戦跡と、琉球王朝の首里城の前の城址という2つの性格を持っています。今回は浦添城址の第一期修復工事が完成しており、かつての琉球王朝の王陵としての浦添ようどれが再建されています。


 車で那覇方面から来ると、浦添グスク・ようどれ館がある西側の入口から入りますが、宜野湾市方面の東側から浦添城址に入ります。こちらの方角はアメリカ軍の侵攻ルートになります。
 メインの入口は南側になり、あちらには高地の頂上付近に駐車場があるので下に駐車場がある、こちら側から登る人は皆無でした。

 

 こちら側には、イベントなども行う広大な芝生広場もあります。

 

 前田高地の西側斜面を登っていくと、琉球王朝の陵墓である浦添ようどれに達します。

 

 戦争で徹底的に破壊された場所ですが、浦添ようどれの石垣の再建は第一期工事で完成しています。

 

 最初の門が、暗しん御門(くらしんうじょう)で岩盤と石積みで出来た門でしたが、沖縄戦のときに破壊されています。

 


 昔の写真だとトンエル状の門でしたが、上の岩盤が砲撃で吹き飛ばされ、石積みのみ再建されたようです。

 

 二番庭から墓のある一番庭への門も綺麗に再建されています。

 

 一番庭に入ると、陵墓が並んでいます。手前が西室の英租王陵。

 

 奥が東室の尚寧王陵。

 

 綺麗に修復されていますが、ここはアメリカ軍の攻撃の矢面に立ったところです。
 
 

 ようどれの上に修復の様子を描いた看板があります。

 

 太平洋戦争前の1934年は、それなりに古びた遺跡のようになっています。

 

 沖縄戦では徹底的に破壊されています。

 
 
 1955年には当時の琉球政府の手によって、ようどれの墓室が復元されました。

 そして1996年には浦添市と日本政府の手により復元事業が開始されました。

 

 2005年には石垣が見事再建されています。

 

 あれから10年経って、白っぽかった石灰石の石垣も自然にエイジングが進み、いい色になってきました。

 

 以前からの石材は割れていたり、角が丸みを帯びていますが、貴重なオリジナルです。

 

 沖縄戦当時、アメリカ陸海軍は歴史的な史跡を躊躇なく破壊しましたが、日本軍の方も防御拠点として、史跡の城址や沖縄の墓などが防御拠点として最適だったので、わざと陣地として使用したと思います。当時の心理としては、生きるか死ぬかという状況の中、後世のために歴史的遺産を残そうとは思わないのは仕方なし。
 その後、朝鮮戦争やベトナム戦争、中東の戦いでも多くの史跡が破壊されています。(イスラム国はわざと破壊していると思いますが)