ハクソー・リッジと那覇基地航空祭の旅#1(沖縄へ
                                        2018年 5月 2日更新                                                                                                                                                           
  本シュガーローフの戦いを読んでから、沖縄戦史と戦跡巡りに興味を持ちました。

 

 
 前回は家族旅行を兼ねて、シュガーローフの丘、ハーフムーンの丘、そして嘉数台地を回りました。
 ただ最後に回った前田高地が雨のためレンタカーから降りることが出来ず、地形をハンドルで握りながら確認しただけでした。その時、前田高地の再訪と、高地に登り日米の激戦を眺めていた巨大な石灰岩の岩、為朝岩(ニードルロック)のところに登ろうと決意していました。
 
 そんな前田高地の戦いを舞台とした映画が2017年に公開されました。
 ハクソー・リッジ  監督はメル・ギブソン 映画マッドマックスやリーサル・ウェポンシリーズの主演を務め、監督としてはイエス・キリストの十字架までの12時間を極めてリアルに描いたパッションなどの作品があります。
 アメリカでの公開は2016年ですが、日本では諸般の事情から遅れて2017年に公開されました。また、沖縄戦を描いた映画なので、沖縄県民の感情を斟酌して映画の宣伝は控えめに行い、そして沖縄が舞台だということも、あえて伏せた宣伝が行われました。
 
 

 あらすじは、主人公のデズモンド・ドスは日本軍の真珠湾攻撃をきっかけに陸軍に志願しようと決意しました。しかし、子どもの頃の体験と、セブンスデー・アドベンチスト教会の信者であるので信教上、銃は持たない。また安息日(通常安息日は日曜日であるが、この宗派は土曜日)は軍務に付かないという信条を持っているので、衛生兵なら敵を殺すこともなく、戦場で人を助ける働きが出来るということで志願しました。 当然、軍隊に入ると上官や同僚との軋轢があり、とうとう軍法会議にかけられるが、父親が元上官から良心的徴兵拒否者として認められるとの手紙を軍法会議に提出したことにより無罪となり、衛生兵として戦場に出征する。
 
 沖縄に上陸して初めて戦場に赴くが(史実ではデズモンド・ドスはグアムとフィリピンで実戦に参加し、功績によりブロンズスター勲章を授与されている)、先発部隊が6回高地を攻略したが6回撃退されているハクソー・リッジに登頂する。(史実では彼は4月25日の夜中に崖を昇り、連日、日本軍の攻撃を受け4月30日に足を負傷。5月4日に救助本部にいったん昇り5月5日に再び高地に昇った)
 日本軍の反撃により、アメリカ軍は撃退され彼の部隊は下に降りてしまったが、彼だけは頂上に踏みとどまり、何回もロープで負傷兵を下に降ろし。洞窟から洞窟に飛び回って負傷兵に救急手当てを実施し、日本軍の攻撃中であるが75名の兵士の命を救った功績から、アメリカの最高位の勲章議会名誉勲章を授与された。


 映画を見た感想としては、冒頭に凄惨な戦闘シーンがありますが、前半は故郷バージニア州の美しい山や町の情景の中、町の診療所の看護婦と恋に堕ち、戦場の殺伐さとは無縁のシーンが続きます。そして舞台が沖縄に移ると、メル・ギブソン監督はリアルな戦闘シーンを描くことにこだわっているので、凄惨なシーンが続き、今まで読んだ本の「シュガーローフの戦い」で読んだ戦場の凄惨さが少しは画像として再現されていると思います。
ノルマンディー上陸作戦を描いた「プライベートライアン」以来、戦争映画が戦場の悲惨さを極力再現しようとしているので、そういうシーンが苦手な人にとってはキツい映画になっています。

 今まで、沖縄戦を描いた映画は1971年東宝製作の「激動の昭和史 沖縄決戦」があります。またアメリカ海兵隊第一師団の戦いを描いたアメリカHBOのテレビドラマ「パシフイック」が第9話で短く沖縄の激戦の模様を描いています。沖縄、前田高地(ハクソー・リッジ)の戦いは戦史に残る激戦ですが、映像化したのは

 ただ映画化に当たっては史実の改編は多々行われていますが、これは映像化するためには致し方ないこと。史実通りに描いてアメリカ軍が7回攻撃して7回日本軍の反撃により撃退されている映像をずっと見せられたら、見るのがつらくなり、気持ちは鬱になるかと思います。(2017年の映画ダンケルクはあえて戦場の過酷さと絶望感を描いた映画になっていますが)
 またハクソー・リッジの陥落後、壕内で日本軍の将校(将官に見える)が2名、自決するシーンが描かれています。しかし史実では守備隊の第二大隊 志村大隊長は陥落後も壕に潜み、脱出に成功して終戦まで生き延びているので、ラストの切腹のシーンは驚きました。これは前田高地の戦いの40日以上の後の沖縄第32軍の司令官 牛島満中将と参謀長 長勇中将の自決を描いたのと思いますが、前田高地の戦いの後に、シュガーロームの戦いや首里司令部の撤退、そして多くの沖縄県民を巻き込んだ沖縄南部の戦いが続くので時間的なズレが大きく、日本の指揮官は最後には自決するというイメージを与えたいのかと思いました。



 


 さて、ここ2年間で3回目の沖縄の旅になります。
 
 沖縄に向かうのは2017年12月9日(土)6時25分羽田発の日本航空901便です。家族旅行だと前泊しますが、今回は一人旅なので前泊せずに朝6時前に着くリムジンバスで羽田空港に来ました。
 
 まだ当時の前なので空港に着いたときには夜は明けておらず、6時30分過ぎに滑走路に向かう頃、明るくなりました。
 冬の西方向に向かう便は、沖合の05滑走路(D滑走路)から離陸します。使用機材はB777-200(JA8998)です。

 

 昇る朝日と共に上昇していきます。横須賀上空を目指すので、離陸後は大きく右旋回します。

 

 下の方には34L滑走路に着陸するバンコックからのタイ航空682便が34L滑走路に向けて降下中です。B777-300なので胴体が長く感じます。

 

 右旋回を続けていくと、横浜港、そして富士山を眺めることが出来ます。冬は寒いけれど風が強く、空気が澄んでいるので、冬の特権として風景が良く見えます(^_^)

 

 横須賀上空では、横須賀軍港が真下に見えます。
 海上自衛隊の方は主要艦艇はほぼ出払っているようです。
 アメリカ海軍の方は、空母ロナルド・レーガンを始めとする、空母打撃群が停泊しています。また第7艦隊旗艦のブルーリッジがドックに入渠しています。
 アメリカ海軍基地には海上自衛隊の潜水艦が2隻停泊しています。
 これから日本軍とアメリカ軍の激戦地を見に行くことを思うと、70年以上のときの流れを感じます。

 

 三浦半島を横断して、江ノ島上空。沖縄に向かうときには右側の席がいい(^_^)

 

 富士山もくっきりと。
 つい、東富士演習場と北富士演習場を探してしまいます(^_^;)

 

 日本航空は機内Wi-fiが無料で使えるので、フライトマップはスマートフォンで見ることが出来ます。
 ただし、これだと大雑把すぎるので、Flightrader24のアプリを起動します。

 

 こちらの方がほぼ現在地が判るし、高度や速度情報、そして他機の動きも把握できるのでいいです。
 ただし、搭乗機JL901便はNo callsightになっていて認識されていません(^_^;)

 

 浜松を過ぎると、沖縄に向けて太平洋上を進んで行きます。沖縄を目指して航空機が列をなしているのが判ります。

 

 太平洋上にでると、南西諸島に近づくまでは見るものがなくなります。海上は雲で覆われ、東から照らす太陽が当機の影を雲の上に落とし、その影を円形の虹が囲んでいます。

 


 海上の雲はひたすら続き、南西諸島の島でかろうじて見えたのが鹿児島県の沖永良部島くらいでした(^_^;)

 沖縄本島に達すると、いつものように名護市上空を横断するかと思いましたが、今回は早めに与那覇岳上空(北部演習場)で横断し、沖縄本島南側を回る進入経路をとりました。

 

 雲の下に出ると、本島南部の知念半島が見えました。

 知念半島の付け根付近の湊川地区も日本軍は、アメリカ軍の上陸地点の一つと予想していました。そして1944年4月2日には数多くの上陸用舟艇が上陸するそぶりを見せる陽動作戦が行われ、独立混成第44連隊をこの地に留めることに成功しました。この場所にあっては海岸線に向けて陣地構築され、海兵隊上陸後に攻撃する計画でした。

 

 知念半島を過ぎると、沖縄戦終焉の地、摩文仁の丘にある県営 平和記念公園。白く立つ沖縄平和記念堂がシンボルになっている慰霊の地です。

 

 さらに沖縄本島の南端を回り込むと、沖縄本島最南端の喜屋武岬を近くに見ることが出来ます。
 ここも、沖縄戦終焉の地で以前、レンタカーを使ってここを訪れたことがあります。1945年6月にはこの地に、兵士や住民が追い詰められ、岬の沖には多数のアメリカ軍の艦船が集結し、警戒と投降を呼びかけた場所です。ここまで行く道はとても細い道ですが、サトウキビ畑の中を通る道でした。

 

 喜屋武岬を過ぎると機首の向きを那覇空港の滑走路に正対させることになります。まだ滑走路一本しかない空港ですが(2020年にはもう一本の滑走路オープン予定)、国内線と国際線のターミナルがあり、さらに陸海空の自衛隊の基地と海上保安庁の基地もある空港ですが、この角度から見るととても狭い空港に見えます(^_^;)

 

 那覇空港の36滑走路に着陸する寸前、那覇基地のアーミングエリアとアラートハンガーを見ることが出来ます。

 

 航空祭の会場も見えますが、まだオープン前なので展示会場の準備や、基地エイサー部歓迎演舞のリハーサルをやっているのが見えます。

 

 航空自衛隊エリアの先には海上自衛隊エリアになります。

 

 P-3Cが列線に並んでいます。 航空自衛隊基地ジオラマを作成しているので、この光景にシビれます(^_^;)

 

 海上自衛隊エリアの先の航空自衛隊自衛隊エリアには航空自衛隊の展示機が並べられています。
 でも海上自衛隊のP-3Cと航空自衛隊の早期警戒機E-2Cは展示機ではなくて、航空祭期間中でも東シナ海の哨戒のための実任務に就いています。

 

 他の航空自衛隊基地ならば、この時間はもう開場していて観客が訪れていますが、那覇基地は2日間の開催なので開場時間が遅く、まだ準備が進められています。

 

 ターミナルの改装も予定されている那覇空港では駐機位置指示灯(Visual Docking Guidance System, VDGS)による誘導ではなく、幹線空港では珍しいマーシャラーによる誘導が行われています。マーシャラーによる誘導は懐かしいので前方スクリーンを思わず撮影(^_^;)

 

 日本航空901便は遅れることなく、那覇空港に到着しました(^_^)


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