沖縄シュガーローフへの旅#4
                    (シュガーローフ&ハーフムーンの丘)                                                                2017年12月26日更新                                                                          
 沖縄の朝は遅い。日本の西端にあるので朝6時でもまだ夜が明ける気配がありません。東日本に比べると、かなり夜明けは遅くなっています。頭では沖縄の夜明けは遅いと判っていても、驚くばかり時差があります(^_^;)
 まだ家族が寝ている間に、激戦地のシュガーローフの丘とハーフムーンの丘を登りました。
 
 ホテルの窓からちょうどアメリカ海兵隊がシュガーローフの丘目指して進撃したルートが見えました。
 那覇市内は完全に復興し、都市化してしまったので戦争当時の景観を思い浮かべるのは困難になっています。 

 

 ホテルを出ると目の前に、シュガーローフの丘がそびえています。

 

 宿泊したダイワロイネットホテル那覇おもろまちもシュガーローフの丘を削った土地に建てられています。

 

 シュガーローフの丘には4車線の那覇中環状線に面して階段が設けられています。
 この上は沖縄水道局の巨大な配水タンクがあり、その周辺は公園化されています。

 

 アメリカ海兵隊が何度も登り、何度も撃退された丘へ続く階段を1段ずつ噛みしめながら登っていきます。

 

 頂上に着くと丘に巨大な配水タンクがあり、その回りをフェンスが囲っています。

 

 フェンスの周りは公園化されていて、夜景を見るための展望台が設けられています。

 

 タンクの周りを一周してみましたが、沖縄戦の激戦地であった痕跡はありません。

 階段を降りて、シュガーローフの丘(地図青丸)からハーフムーンの丘(地図赤丸)に向かいます。
 二つの丘は、互いに支援する関係にあり、シュガーローフの丘だけ攻めるとハーフムーンの丘から攻撃され、結局、二つの丘を同時に攻撃し、ハーフムーンの丘を攻略したので、7日目にシュガーローフの丘を攻略することが出来ました。



 そのハーフムーンは完全に住宅地になっていて、当時の面影はありませんが、地形を知りたくなり歩いて見ることにしました。
 丘の西側に頂上に登る道があるので、そこから登りました。

 

 丘の西側の住宅街の道を登ります。なかなかの傾斜で攻めるのには大変な地形だというのが判ります。
 
 

 頂上を目指すと、頂上には那覇イエス御霊教会があります。
 シュガーローフの丘には、カソリック安里教会と法華経寺があり、激戦地の跡に2つの教会があるのは多くの戦死者の魂を慰めることになっているかと安らぎます。
 この教会を通るとハーフムーンの丘の頂上に行けますが、まだ朝7時前なので門は開いていないので、他のルートを探しました。

 

 ハーフムーンの丘はT字型をしており、縦の棒が南に向かって延びています。丘も造成されて削られていたり、家が建てられていますが、T字の縦棒の下の部分は南に回るとはっきりと見ることが出来ます。

 

 結局、ハーフムーンの丘をぐるりと一周すると、北側に公園の入口があり、公園を通って丘の上に行けることが判りました。
 最初っから丘の正面に回っていれば、すんなり丘の上場に立つことが出来ました(^_^;)

 公園の名は大道森(だいどうもい)公園で、斜面を利用した公園でコンセプトは市民の健康維持らしい。

 

 激戦地たっだ大道森の痕跡が全くない公園になっており、日本軍の壕や弾痕のある壁などが展示してあるかと思いましたが、そのような戦争遺構は全くない公園になっています。
 それもそのはず、これほど辺りが住宅地化されていれば、あまり激戦地跡だということを明示してくれるなということもあるでしょう。

 

 公園の中というよりも、丘の上の住宅や教会に行く坂道といった感じの公園の道を歩んでいきます。

  

 丘の頂上は展望スペースになっています。まだ先に進む通路がありますが、この先は教会の敷地や個人住宅などの私有地になっているので、ここが行き止まりです。

 

 展望スペースからシュガーローフの丘方面を眺めます。
 二つの丘は互いに近く、戦況を観測できたので、どちらかの陣地が攻撃されると、片方の陣地が支援射撃を行ったのでアメリカ軍の損害が増しました。
 攻撃開始から5日目の5月16日になってから、ようやく2つの丘が連携し合っていると気付いたアメリカ軍は同時に2つの丘を攻撃し、翌日の17日にハーフ―ムーンの丘が陥落し、翌日の5月18日、攻撃開始から一週間後にシュガーローフの丘も陥落しました。

 

 ほぼ、住宅に埋め尽くされたハーフムーンの丘ですが、斜面の部分は草木に覆われている部分があって、当時の地形を少し伺うことが出来ます。もっともこの向こう側は、沖縄独特の墓地になっているようですが。

 

 公園は那覇イエス之御霊教会の敷地に隣接しています。
 この強化の建物は外観は良くデザインされた設計で、内部もかなりモダンな造りになっています。私もクリスチャンなので礼拝に参加させて頂き教会の中を見たいのですが、この教会はカトリックでもプロテスタントでもない教会で、聖日礼拝も他の教会と違って日曜日でなく土曜日だったりと、私は聖書に忠実なプロテスタントの福音派の教会員なので、この教会が礼拝に参加させて頂くことができるのか不明です(^_^;)

 


 ハーフムーンの丘のあった大道森公園に、戦争の歴史を示すモニュメントも表記もなかったのですが、那覇市はハーフムーンの丘の戦いのモニュメントはここから400mほど北に行った公園になりました。
 ハーフムーンの丘を削って那覇中環状線が2012年に延伸開通したので、戦前からの地形は完全に変わってしましましたが、道路用地の切り通しの工事の際、数多くの不発弾、当時の武器、装備品、そして遺骨が収集されました。その当時、ニュース番組で道路工事で失われる丘をボランティアの人がほぼ個人で遺骨収集にあたっているというニュース番組を見た記憶があります。
 それらの数点と弾痕の残る石壁を使ったモニュメントとして「大道森(ハーフムーンヒル)戦争遺跡碑」が真嘉比南公園の中に造られました。

 

 那覇市のWebサイトにこの戦争遺跡碑の記事が載っています。ここに一部を引用させて頂きます。
 はいさい ぐすーよー ちゅーうがなびら。
   本日は、大道森(だいどうむい)(ハーフムーンヒル)戦争遺跡碑の完成について市民の皆さまにお知らせいたします。
   3月20日に真嘉比南公園内に「大道森(ハーフムーンヒル)戦争遺跡碑」が完成いたしました。
   碑の上部には、現場で見つかった弾痕の残る石壁を展示し、下部には大道森の戦闘と平成20年の遺骨収集について説明した説明文、発射痕のある薬莢など15品を展示しております。
   さて、真嘉比古島第二土地区画整理事業の行われた真嘉比周辺は大道森(通称ハーフムーン)と呼ばれ、おもろまちにある慶良間チージ(通称シュガーローフ)と並び、沖縄戦における最も激しい戦闘が行われた地域でありました。
   当地では土地区画整理事業の進展に伴い、多数の戦没者の遺骨、不発弾、日米両軍の物品等が発見されており、平成20年6月22日には、当地において市民参加型の遺骨収集も実施いたました。
   私も遺骨収集作業に参加いたしましたが、日本兵のものと思われる遺骨や手榴弾、軍服のボタンなどが収集されるのを目の当たりにしたとき、沖縄戦で犠牲になられた全ての皆さまのご冥福をお祈りするとともに、子や孫の世代に沖縄戦の実相を伝えていく必要性と、平和で安心・安全な那覇市を築いていく想いを新たにいたしました。・・・・・・ゆたさるぐとぅ うにげーさびら。   

 
 

 もし2010年以前に、ここを訪れていたら、ハーフムーンの丘の地形と、戦後になって無秩序に家が建て込み、複雑な道筋が入り組んだ区画整理前の真嘉比古島地区を歩けたのに、訪れたのが10年以上遅すぎました。残念。



 ハーフムーンの丘から、シュガーローフの丘の方へ戻ります。
 二つの丘を隔てる切り通しに戦争中までは、沖縄唯一の鉄道、軽便鉄道の線路が走っていました。那覇市内の古波蔵駅から嘉手納駅まで結んでいました。
 ここは切り通しだったので進撃路になり、多くの海兵隊の戦車と兵士が日本軍の攻撃に倒れた場所です。
 軽便鉄道の通った同じ場所に、今では沖縄都市モノレールが通っています。軽便鉄道の時代と大きく変わった場所です。

 

 シュガーローフの丘には、カトリック安里教会が建てられています。

 

 だいぶ削り取られて、当時の面影はなくなったシュガーローフの丘に、明るくなってから再び目指します。

 

 海兵隊が苦労して登った丘を、今では階段で楽に登れます。

 

 丘の上にはシュガーローフの戦いの戦争遺跡碑が立てられています。

 

 日本語と英文で戦いの経緯が書かれています。
 ここを多くの外国人(主としてアメリカ人)の団体客が訪れ碑文を見て、かつての戦いのことに思いをはせ、慰霊の気持ちをと平和を願います。

 

 戦争遺跡碑の脇には、展望台が設けられています。ここは夜景の名所でもあるようです。

 

 展望台に上ってみても、新たに建てられた宿泊したホテルも入っている那覇新都心センタービルが視界を遮り、あまり眺望は良くありません(^_^;)

 

 公園は那覇市上下水道局の貯水タンクの外周を、周りながら歩くことが出来ます。

 

 シュガーローフの丘から、沖縄を守備した第32軍の司令部のあった首里方面が良く見えます。
 首里の司令部からも、シュガーローフの丘(安里高地)の戦闘の様子が見えるので、適宜増援部隊を送ったり、砲兵による援護射撃を行ったので、海兵隊にとって困難な闘いになりました。

 

 シュガーローフの丘の南の方の斜面には、まだ建物が建てられていない森が残されています。
 開発の進んだ、おもろまち周辺で未だに緑が残されているのは不思議な感じがします。しばらく歩いて管理者記された看板等がないか探しましたが見当たりませんでした。傾斜地だから緑が残されているのかと思いましたが、那覇市内ならこのくらいの傾斜地だったら開発されています。ひょっとしたら、この森の一角にある安里八幡宮の所有地かと思いましたが、何はともあれ、シュガーローフの丘の一角が自然の地形が残されているのは、なんかホッとします。

 

 シュガーローフの丘へのルートは、那覇中環状線沿いの階段だけではなく、裏手に那覇上下水道局が管理用の道路が通っています。

 

 丘の上の展望台をしたから見上げると、展望台の屋根が飛行機か、十字架のような形に見えます。それとも戦後、この地を訪れた沖縄の人が丘の上を多数トンボが飛んでいるのを見て、戦死された人の魂がトンボになったという話を聞いたというのもあるので、トンボのようにも見えます。

 

 中環状線に面した角の鎖に囲まれた場所にいくつかの岩石が置かれています。
 石灰岩のように見えますが、なぜここに置かれているのか、何の説明書きもないので不明です。
 道路工事で丘を切り崩した時に出た岩か、シュガーローフの戦いで生じた弾痕等が残っている岩か、はたまた横から見ると人の横顔に見える石だからかまったく不明。

 

 

 シュガーローフの丘とハーフムーンの丘を1時間余りかけて朝の散歩で廻った後は、家族と合流してレンタカーで出掛けます。   

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