2017 千歳基地航空祭の旅#7(千歳基地航空祭#2)
                                           2017年11月17日更新     
 

 千歳基地航空祭の会場は広いので、大型機もエプロン内に展示されています。アイランド型に展示されているので、前からも後ろからも見ることが出来ます。

 救難飛行艇 US-1Aは今年度で退役予定なので、北海道に最後の挨拶に来た感じです。

 
 
 帝国海軍の2式大艇の流れを組む飛行艇で、前の型は飛行艇でも対潜哨戒機のPS-1は、海上自衛隊の国産機の中でも事故が続いた機体でした。
 潜水艦探知のため着水して吊り下げ式ソナーで探知するという運用が祟り、PS-1は23機製造されましたが、うち6機も事故で失われています。4分の1以上の事故減耗率で、乗員が約12名なので事故があった場合の犠牲者が多く、37名の隊員が殉職されています。1970年から運用を開始しましたが20年を待たずして全機退役しました。
 任務は固定翼のP-2JとP-3Cに引き継ぎ、引き継がれたP-2Jは全機無事故で退役。P-3Cは飛行中の事故は1機のみで殉職者なしで、OP-3CやUP-3Cなどに改造される機体もあるけど、現在も哨戒機として活躍中です。

 救難飛行艇のUS-1Aは、対潜哨戒機の事故に備え、救難ヘリコプターよりも、より早く、より遠くに飛べ、救難対象機のクルー全員を一度に収用できることということで、原型のUS-1が1976年に配備され、その後、エンジンを強化したUS-1Aも含めて20機配備されました。その中で事故は2件、うち死亡事故は1件のみということで、今年度の退役を迎えることになりました。 後継機種としてUS-1Aを改良した救難飛行艇US-2の配備が進められています。

 


 F-2戦闘機による模擬対地攻撃が行われる予定でしたが中止に。F-2が離陸する三沢基地の天候も低気圧の前線の影響で、悪化しているらしかったです。

 模擬対地攻撃に呼応して、第2基地防空隊のM167 20mm対空機関砲VADSが空包による模擬対空射撃が行われました。この日は2門のVADSによる空包射撃が行われました。
 このVADSは空包射撃を行わなかった展示用のものですが、千歳基地開庁60周年の記念マーキングがされています。

 

 60周年の記念マークは様々な車両にも掲げられています。

 

 政府専用機にも、国旗と並んで60周年の旗が掲げられています。

 


 60周年の記念塗装はF-15Jの垂直尾翼に片側にはヒグマ、反対側には鷲(イーグル)が描かれていました。
 機動飛行を行う予定でしたが、上空の天候不良のため離陸せずにハイスピードタクシーを行いました。エンジンのパワーを上げると、すぐにエアブレーキを上げて減速です。

 

 自分は基地祭用の特別塗装機には興味が湧かないので、1/144の技MIXの航空機シリーズでも、特別塗装機はほとんど購入しないで、通常の制空迷彩の機体ばかり購入していました(^_^;)

 
 



 上空の悪天候のため、次々に飛行展示の内容が変更になったり中止されるなか、アメリカ空軍三沢基地のPACAFF(太平洋空軍)F-16曲技飛行


 米軍機でも雲の低い天候ではレギュレーションの関係で機動飛行は中止になると思っていましたが、やる方向で飛行準備が進められています。

 パイロットはデモチームのキャップを被っています。このキャップはデモフライトの終了後、ブースで2,500円で販売していました。ちょっとミリタリーの雰囲気のない識別帽になっていますが。

 

 エンジンの始動から発進準備前点検を行う整備員の動作やハンドシグナルが、アメリカ空軍のアクロバットチーム、サンバーバーズ並の見せるアクションで、チーム専用のカバーオール姿の凜々しさも相まって魅せられます。

 

 パイロットが被っているのはヘッドマウントディスプレイを内蔵したJHMCSJoint Helmet Mounted Cueing System・統合ヘルメット装着式目標指定システム)です。

 

 後ろから見ると、自衛隊のF-2戦闘機より、設計の参考にしたF-16は一回り小さいのが実感できます。

 

 フライトデモチームのF-16の飛行展示の凄いところは、ひたすら観客から見えるところを常に飛んでいるので、展示飛行に間延びがなく、観客が飽きません。
 その代わり、良くも連続して旋回やロールを打てるもんだと感心します。

 

 雲の高さが低いので、飛行は2,000ftに制限されていたようで、垂直系の機動は行わずに水平系の機動のみでした。

 

 元々、F-16は翼を通る空気が圧縮され、水蒸気が発生し白い煙のようなヴェイパーが発生しやすい機体ですが、この日は大気中の水蒸気も多かったので、急旋回をすると派手にヴェイパーが発生し、見応えがありました。

 

 自衛隊のF-15戦闘機などの機動飛行が中止になった航空祭を、アメリカ空軍のF-16が機動飛行で観客を魅了してくれたのは、ありがたかったです。


 アメリカ空軍デモチームのF-16の展示飛行が終わると、飛行展示プログラムは13:40のブルーインパルスの展示飛行までぽっかりと開いてしまうので、地上展示を見学するか、いったん展示会場から出て売店エリアで食事、買物をすることになります。

 F-15J戦闘機の訓練用ミサイルや訓練用爆弾の搭載デモストレーションが行われていました。
 技MIXのF-15に武装や、「REMOVE BEFORE FLIGHT」の赤いタグの取り付け方が航空自衛隊基地ジオラマの製作の参考になります。
 特に「CDN319」と書かれた細長いミサイルのような「DBSS(デイ・ブリーフィング補助装置)」(格闘戦訓練で機体の速度や姿勢を記録し、ミサイルなどが命中したか回避したかなどを記録する装置)は技MIXのアグレッサー機にパーツとして付属していましたが、組立説明書では取り付けの様子が今まで分からなかったので、実物を見てよく分かりました(^_^)
 ただし、この装置は展示会場の説明板では、ACMI POD(Air Combat Maneuvering Instrumentaion)と記されていました。

 


 それと、個人的に気になっている2015年10月以降、航空総隊隷下部隊において、部隊名を明らかにする建物の看板や識別帽などが廃止の通達が出ました。
 自衛隊の識別帽のコレクターでもあるので、つい、その通達がどの程度、実施しているかと様々な航空自衛隊基地に行くと観察してしまいます。
 
 その結果、ブルーインパルスや教育飛行隊所在の松島基地以外は、ほぼ識別帽の着用は見られなくなりました。
 この日の千歳基地も、一部の部隊を除いて同様です。 基地祭でもフライトスーツで識別帽を被っているパイロットは、海上自衛隊のパイロットでした。

 パイロットは原則として無帽。
 デジタル迷彩服着用の隊員は、同じデジタル迷彩の作業帽を被っています。

 パイロットに話を聞いてみると、パイロットで帽子を被っている人はいないそうです。
 それでは、雨の日はどうしているのかと聞くと、自分は雨の日でも被らないけれども、人によっては、昔使っていた識別帽を雨の日には被る人もいるそうです。

 

 しかし、千歳基地でも、未だに識別帽を使用している部隊もあります。
 政府専用機を運用する特別航空輸送隊です。
 部隊の性格上、識別帽は市販されないと思いますが。


 

 もう1人、識別帽を手にしている隊員がいます。 「ADTW」とあるので岐阜基地の航空開発実験集団(Air Development & Test Wing)の識別帽で、展示されているC-1 FTBは航空開発実験集団の機体なので、この機の乗員かと。

 
 整備服も旧型の整備服をネービーブルーにしたようなデザインです。
 隊員さんに聞くと、航空自衛隊ではブルーインパルスと特別航空輸送隊だけが、部隊独自の整備服を着用できるそうです。
 羽田空港や外国の空港でも機体整備することもあるので、デジタル迷彩服では芳しくないという理由もあるかと。

 


 自衛官が2人以上で連れ立って歩くと、自然と歩調を合わせて歩く習性があると聞きます。陸海空三自衛隊の自衛官が連れだって雑談しながら歩いていますが、全員の歩調が合っているのは見事です。

 

 13時を回りブルーインパルスの展示飛行のアナウンスが聞こえると、三々五々散策をしていた観客が、一斉に売店エリアから潮が引くようにエプロン地区に移動していきます。

 

 すると、今まで展示エリアにいた観客が誰もいなくなるので、このときが見学のチャンスです(^_^)

 基地・空港の除雪機材の展示は、いかにも千歳基地らしい展示です。

 

 展示エリアの規制線の向こうには森が広がります。
 この森の向こう側には第203飛行隊のシェルター地区があります。
 第203飛行隊は戦闘機を1機ずつコンクリート造のシェルター(掩体壕)に納められ、飛行隊指揮所などの施設も、地下または半地下とされています。
 以前から取材はNGで、写真等が航海されることもなく、秘密のベールに包まれていました。このシェルター地区の様子を知る機会は新千歳空港から離陸する時でした。 羽田行きの飛行機が北向きの滑走路から離陸すると、陸上自衛隊の東千歳基地の上空で旋回して、再び新千歳空港の上空へ上昇していくので、その時が秘密のシェルター地区を見ることが出来ました。
 しかし今は、そんな苦労は昔話でGoogleMapの航空写真でシェルター地区の様子が分かるので、時代は変わったものです(^_^;)

 


 航空自衛隊の無人となった機会に地上支援車両を見ていたら、いつのまにかブルーインパルスは滑走路に向かっていました。

 

 ブルーインパルスの1番機から6番機まで滑走路に並び、離陸を待ちます。

 

 しかし、離陸をすることは叶いませんでした。
 各機がエンジンランナップとスモークチェックを行った後、離陸というところで銭湯の1番機のブレーキが故障で解除されなくなり、まったく動けなくなりました。
 どうしても1番機のブレーキが外せずに、2-4機までは1番機と密集しているので共に動くことが出来ないのですが、後ろに離れて離陸のポジションにいる5,
6番機は動けるので、18R滑走路から急遽、隣の18L滑走路に移動して、2機のみの展示飛行を行うことになりました。

 取りあえず5,6番機は離陸しましたが、急には2機だけによるアクロバット飛行が出来ないのと、ブルーインパルスの展示飛行のために隣の新千歳空港の空域まで開けていて、いつまでも離着陸する民航機を待たせるわけにはいかないので、時間切れで2機編隊で一航過するだけで、2機とも着陸となりました。
 
 

 大勢の観客がブルーインパルスの曲技飛行を楽しみに会場に集まりましたが、誠に残念な結果となりました。

 

 1番機から4番機は念のため皆エンジンをカットして、けん引車でエプロンに戻ってきました。

 

 たとえ飛行しなくても戻ってくると、すかさず整備作業が始まります。自衛隊の航空機整備は完璧を期して行いますが、やはりアクシデントは起きるもの・・・

 この整備作業を見ていると、T-4は背が低いので背の高いF-15などに比べると、整備がしやすそうです。1/144の技MIX航空機シリーズがフェードアウトしなければ、いつの日かはT-4が発売されて、キャノピーや各種パネルが開閉選択できるキットになって、このような整備風景のジオラマが造れるのではないかと夢を見ていました(^_^;)

 

 大勢の整備員とパイロットが集まって1号機の不具合を協議しています。

 

 もう今日はブルーインパルスの飛行はないと判っていても、事態の推移を見守っていた観客に最後はお詫びに手を振り、観客もけっして文句を言うことなく、パイロットたちを拍手で送るという日本的な光景が見られました。別に機体の故障と展示中止はパイロットのセイではないので。

 

 午前中の飛行展示の多くと、航空祭のトリを務めるブルーインパルスのアクロバット飛行が中止になったので、飛行展示を期待して基地祭に来た人には不完全燃焼感のある航空祭になったようですが、自分としては様々な展示を見て回ったので満足していました。
 今回飛行展示で頑張ったのは、アメリカ空軍デモチームのF-16と・・・・

 

 千歳救難隊のUH-60Aであったと思います(^_^)

 



 退場のため、基地正門に向かいます。正門への途中にエア・パークがあり退役した機体やナイキミサイルの展示がありますが、その隣には広報館があります。

 

 この広報館の建物。いかにも基地の教会のような造りで、私見ですが、千歳基地が第二次大戦後にアメリカ陸軍の基地となった時代の基地の教会だったような感じがします。

 

 千歳基地正門から、JR千歳駅までは歩いて30分強です。
 千歳市内も北海道の他の都市同様、道が碁盤目のようになっているので、千歳の街を観察するため、信号のある交差点ごとに左折、右折を繰り返して千歳駅に向かいます。

 千歳川を渡る仲の橋を渡ると、川岸に木造の立派なプロテスタントの教会がありました。
 千歳栄光教会で、明治時代に日本に来てメンソレタームの近江兄弟社と縁のある、ヴォリーズ建築事務所の設計で2001年に新会堂が建てられました。中を見学したかったのですが、苫小牧の船の時間もあるので断念しました。
 この教会、千歳基地にも縁があり、1945年からアメリカ陸軍に接収された千歳基地には、航空隊や第11空挺師団、第7歩兵師団、第1騎兵師団など朝鮮戦争の絡みで多くの部隊が出入りし、千歳市内にも多くのアメリカ兵が溢れました。兵士のために風俗産業が盛んになり、これでは子どもの育つ環境に相応しくないということで、日本のみならずアメリカでも問題になり、千歳市内に教会をということで当時駐留していたオクラホマ州兵の協力もあって設立された教会です。

 

 これからJRで千歳空港に向かい、空港から連絡バスで苫小牧港に向かいました。
 
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