防衛省探検ツアー#3(市ヶ谷記念館2階・屋外ヘリ展示場)
2014年 9月 9日更新
10:40~11:30 市ヶ谷記念館の見学(引率者のみ)
1階の講堂の見学が終わると、2階の見学に移ります。
2階は、士官学校長室、陸軍大臣室、その後、自衛隊になると東部方面総監室と、部屋の主が転々とした旧陸軍大臣室に入ります。
ここには戦時中の大本営陸軍部の看板が2枚、左側のは上部が割れてしまったので、縁起が悪いと言うことで交換されたものです。
陸軍大臣などの公印
旧1号館の復元模型もあります。
この部屋が歴史的に有名になったのは、1970年11月25日、作家の三島由紀夫を中心とする右翼団体「楯の会」のメンバー5人が日本刀を持って、自衛隊の決起を促すために、東部方面総監を人質に総監室に立てこもったという、自衛隊にとっては迷惑極まらない事件でしたが、当時、ノーベル文学賞候補だった三島由紀夫が、立てこもりの結果、切腹して自害したということで、当時はセンセーショナルな事件だったようです。
三島が檄文を蒔き、自衛隊の決起を促す演説をしたバルコニーも、当時とは場所やバルコニーからの景色も違いますが残されています。
三島が演説をしたときには、マスコミの取材ヘリコプターの騒音や、抗議の声を上げる自衛官の声で、集まった自衛官の耳には、三島の演説は全く届かなかったそうです。
三島らが立て籠もった際に、幕僚達が阻止しようと、日本刀をもった三島らと、もみ合いになった際に付けられた刀傷のあるドアも残されています。
そういった物騒な遺物の他に、旧1号館に掲げられいた、大時計や自衛隊の桜や、2007年1月8日以前の名称の「防衛庁」の看板が置かれています。
市ヶ谷記念館の見学が終わった引率者の親たちは、子ども達と合流すべく、厚生棟2Fの広報展示室に向かいます。
10:40~11:00 副大臣とのお話 (子ども達のみ)
子ども達のみのプログラムで、防衛大臣、副大臣の部屋に入って大臣とお話することになっていましたが、当日は小野寺防衛大臣(当時)は公務で不在だったので、武田良太副大臣(当時)が対応して頂きました。
副大臣室に半分ずつ入って、副大臣とお話をして、記念撮影をしたようです。(記念写真は解散時に渡されました)
11:10~11:30 屋外ヘリ展示場の見学 (子ども達のみ)
子ども達はヘリ展示場に移動し、ヘリコプターの搭乗体験を行いました。
屋外ヘリ展示場には、用廃になったUH-1Hヘリコプターが1機のみ置かれています。
子どもの撮った写真をみると、みんなヘリコプターの機内や操縦席に座ったようです。
大人達が子ども達と分かれて、市ヶ谷記念館を見学している間、案内人は子ども達との合流時間に遅れないように、時計を気にしながら、分単位のスケジュールで動いていましたが、子ども達はそうもいかず、集合時間から遅れて到着しました。 おそらくヘリコプターに夢中になって時間をオーバーしたか、三々五々トイレに行く子どもがいるので、なかなか時間どおりに進行させるのは、たいへんなようです(^_^;)
用廃になった機体とはいえ、毎日のように見学者を迎えるので、中の計器類のコンディションは良好に整備されているようです。
子ども達には、ヘリコプターの搭乗体験は好評だったようです(^_^)