防衛省探検ツアー#2(市ヶ谷記念館)
                                       2014年 8月18日更新           

 
 10:40~11:30 市ヶ谷記念館の見学(引率者のみ)


 市ヶ谷記念館は、1937年に陸軍士官学校本館として建てられ、その後、陸軍省、大本営陸軍部、参謀本部となり、終戦後は極東軍事裁判(東京裁判)の法廷として使われました。その後、返還されて陸上自衛隊 東部方面総監部として使われましたが、防衛庁(当時)が移転してくるので、取り壊されることになりました。
 しかし、歴史的・建築的な価値により、保存の声が多く上がり、解体後に敷地の西端に一部分のみ保存することになりました。 ただし、予算とスペースの関係で保存されたのは、正面玄関周りと、講堂の部分のみです。


 建物正面から見ると、過去の見慣れた歴史的な写真の姿とは印象が異なります。
 移設前は、建物は4階建てで、正面の塔は、さらに高く7階から8階くらいの高さがあったようです。
 これは、4階建ての建物を2階建てにして保存することになったので、バランスを取るために塔の高さも低くしたのだと思います。


 正面、玄関前車寄せから、靴を脱いで大講堂の中に入ります。



 多くの歴史的な出来事を抱える市ヶ谷記念館ですが、一番有名なのは、歴史の教科書にも載った極東軍事裁判のシーンです。日本の歴史には、重要なシーンですが、軍事法廷にするために、床には防音のためのカーペットを敷き詰めたり、被告の表情を見やすくするために天井に照明を多数増設したり、ホールの両サイドに裁判官席と、被告席の雛壇が設けるなど、戦前の大講堂とは大きく改装されました。 そして、正面の舞台には天皇陛下の玉座がありましたが、撤去されて同時通訳用のブースになりました。



 復元されたのは、東京裁判の法廷の姿ではなく、戦前の姿で玉座も復元されています。



 大講堂の建築には、いろいろと工夫が凝らされていて、玉座から見た視点で、2階席が陛下より高く見えないように、大講堂の側面の造りに遠近法の技法を使っていました。

 2階席からの視点では、2階席の方が玉座より高く見えますが・・・



 玉座からの視点では、2階席は低く見え、かつ遠く見えるように配慮された造りになっています。



 玉座は床が歪まないように、箱根の寄木細工が貼られています。玉座には上がれませんが、脇には玉座に昇る天皇陛下専用の階段が設けられており、こちらは昇り降りを体験させてもらえます。



 階段は昇り始めは、階段の板の中央部が削られていて、陛下の脚の形に合わせて滑らないように工夫され、さらに階段を昇っていくと、今度は逆に蒲鉾のように中央部が盛り上げてあって、土踏まずの形に合うように自然な形になって、昇り易いように工夫されています。階段の高さも、安全と昇りやすいように建築基準法ギリギリの15㎝になっているそうです。
 スリッパを脱いで、靴下越しに階段の板の形状の変化を体感してみると、確かに最初は盛り上がった形が、くぼんだ形に変化していくのが判ります。 昇り降りがたいへん気持ちのいい階段で、もっとこれを早く知っていれば、家を新築するときに、この階段の造りを取り入れていたのに(^_^;)
 


 大講堂の両脇は展示コーナーになっています。
 舞台から見て、右側が軍刀などの展示。



 左側は、旧軍の軍服や装備品、歴史的な文献や、書簡などが展示してあります。



 帝国海軍の開戦時の連合艦隊司令 山本五十六中将(当時)の書 「常在戦場」は郷里の越後長岡藩の藩是です。常に気を引き締めている構えです。



 市ヶ谷記念館の展示で私がもっとも拝見したかったのが、1945年に硫黄島で玉砕された栗林忠通中将(没後、大将に昇進されたので、下の写真は中将時代に撮られたものを、襟章が大将ものに修正されています)関連の展示です。 小笠原兵団を率い、圧倒的な不利な状況で硫黄島の守備の指揮を執られました。



 自分は小学生の頃から、陸軍の将軍の規格から外れた、ユニークな将軍だったなと思っていました。 
 2006年に公開された「硫黄島からの手紙」で、渡辺謙さんが栗林中将を演じられ、日本で大きく評価された映画で、栗林中将のことが良く知られるようになりました。
 当時は、中将は多くの人から疎まわれましたが、自分はこのような規格外の人物が好きです。アメリカ人ではパットン将軍(映画「パットン大戦車軍団」の主人公)が好きで、自分では出来ない型破りな人物に惹かれます。

 私が映画館で「硫黄島からの手紙」見たとき、最初に栗林中将が航空機で硫黄島に着任するシーンから始まります。これから登場人物達がどのような運命を辿るのか判っていたので、自分も硫黄島に送り込まれて、2時間20分、彼らと同じ運命を体験するのではと恐ろしい思いをした記憶があります。
 映画は硫黄島の戦いの悲惨さを良く描いていて、クリント・イーストウッド監督のアメリカ映画ではなく、日本映画だったのではないかと思えるくらい、日本人の感性にあった映画でした。

 映画の公開に合わせて、梯久美子著の「散るぞ悲しき」と、映画の原作となった、『「玉砕総指揮官」の絵手紙』を読みました。
 アメリカ駐在武官時代に、日本に残された子どもたちに書いた絵手紙を中心にまとめられた本です。



  栗林中将の家族への愛情や、アメリカでの生活が、優しさのあふれた絵と文章で綴られています。



 『「玉砕総指揮官」の絵手紙』に載った、実物が見られると思ってましたが、展示されているのは遺族からお借りした実物を撮影してプリントしたものでした。



 それでも、書籍では小さく印刷された絵手紙が、きれいなカラープリントで見られただけで満足です。



 他にも歴史的な展示物がありましたが、展示品を見る時間は20分弱、全部は見きれないと思ったので、栗林中将の展示品を見るのに大半の時間を割きました。

 防衛省探検ツアー#3に続く