レイアウト制作記#249
              更新日2012年6月13日更新         

2012年4月28日(土) (番外編)仙台訪問


 
 しばらく更新の間隔が一ヶ月半ほど開いてしまいました(^_^;)

 仕事のピークは3月末で終わりましたが4月の後半になると、所属している業界団体やボランティア団体の総会に備えて、会合や会議が土曜に行われたのでレイアウト制作にまとまった時間がなかなか取れません(^_^;)

 そこに来て、ホームページをアップしていたパソコンが故障しました(^_^;)

 少し前から、ハードな作業をさせるとファンが勢いよく回り熱がこもっているなと感じていましたが、5月になり暖かくなってくると、電源を入れても起動しなくなってきました・・・・・・
 ゴールデンウィークが明けてからの修理以来だったので、ようやくパソコンが戻ってきました。
 
 パソコンの修理期間中は公私共々忙しくなっていましたが、それでも時間を見つけて小間切れでレイアウト制作の方も進行させていました。  しかしホームページの更新がないとなると、レイアウト制作のペースも落ち、車両のパーツ付けや方向幕の貼り付け等にうつつを抜かしていました。  やはりホームページの更新はレイアウト制作のモチベーションに役立っているのかと(^_^;)


 それで今回の更新ですが、パソコンの故障前の5月初頭に作成したものであり、故障によりアップロードが叶わなかったページです。 もう6月になり、4月末のことをアップするのは誠に、誠に恐縮ですが、せっかく作成したので時期遅れですが掲載させて頂きます(^_^;)

 誠に時期遅れなことをお詫び致しますm(_ _)m

 
 今回は番外編ですが、次回の節目のレイアウト制作記#250になるので、県庁周辺の整備完了の制作記にしたいと思います(^_^)




 所属している団体等の総会のピークを迎える6月くらいまでは、会議が多くあます。
 会議の方は、べつに自分が出席しなくても決まるものは決まってしますのですべてに出席しなくてもいいかと思うのですが(^_^;)、出席すればいろいろな人と話しも出来るし、見識も広まるかと思ってのこのこ参加しています(^_^)

 そんな中、2週連続で仙台市に出掛けました。 最初はボランティア団体の会議で、次の週は子連れでの野球観戦に行ってきました。


 1週目は仲間と乗り合わせて車で東北道使って仙台に行きました。
 今年の桜は、寒さの影響で遅く、矢板近辺から仙台まで高速道路沿いの満開の桜を楽しめました。


 
 高速道路の被災地支援のための無料化も一部の対象者を除き先月末で終了し、無料化だった時よりも交通量が大幅に減少したかと思ってましたが、以外に交通量が多く、東北に向かう車があまり減っていないのは東北のためを思うとホッとします。
 
 乗用車以外に目立つ車両は、瓦礫の運搬車、中古車を積載したキャリアカー、復興工事に向かうのか重機類を搭載した群馬や西日本のナンバーのトレーラーなどが見られます。 
 警察の機動隊の車両は愛知県警が何台か北進していきました。

 
 1年前の4月以降には被災地に災害派遣に向かう自衛隊の車両が目立ちました。 今回何台か見掛けましたが、もう東日本大震災関連の災害派遣は終了しているので、この郡山駐屯地の第6特科連隊のトラックは演習か、同日に行われた仙台駐屯地の創立記念行事に向かう車両だと思います。



 会議でせっかく仙台市を訪れたので、大震災に見舞われた仙台市の復興の状況を見てみようと思いましたが、今回は団体行動だったので会議の終了後、即乗車して帰投したので、仙台市探訪はかないませんでした(>_<)


 しかし、ゴールデンウィークが始まった一週間後に再び仙台を訪れました。  
 被災地に遊びに行っても被災地支援。 というお題目でゴールデンウィークの初日の4月28日は仙台で過ごすことにしました。

 仙台を訪れる目的は、午前中は陸上自衛隊の多賀城駐屯地の創立58周年記念行事を見学し、午後はKスタ宮城球場で楽天対北海道日本ハムの試合を完成しようという、ゴールデンウィークのお楽しみ企画です(^_^)

 多賀城駐屯地の一般公開は4月下旬の土曜日に行われることが多く、土曜日に行ける一般公開なので多賀城駐屯地は重宝して、今まで3回ほど訪れさせて頂きました(^_^)  
 土曜日の一般公開は子連れにもありがたい公開ですが、来年からゆとり教育廃止で小学校も土曜日授業が毎週あることになっているので、来年は子連れで遊びにいけないかも・・・・



 今回の仙台行きはゴールデンウィーク初日で高速道路が混むことは必至なので、東北新幹線を使いました。 次第に東北新幹線から姿を消す予定になっているE4系のMAXやまびこ203号で終点仙台を目指します。
 4月の東北新幹線のいいところは桜とうっすらと雪をかぶった東北の山々を眺めることが出来ることです(^_^)
 下りの新幹線に乗れば1時間あまりで葉桜から満開の桜へと、時間を巻き戻すように桜の開花状況を眺めることが出来ます。
 福島県内は先週がほぼ満開状態だったので、近くで見れば葉が出ているのかもしれませんが車窓から眺めるとまだ満開に見えます。



 9時04分に仙台に着くと、仙石線で多賀城駅に向かわずに、東北本線のホームに向かいます。
          
 東北本線下りホームに9時13分発のお座敷平泉文化遺産号が停車中



 懐かしやラウンドハウスから発売されたキハ40 漫遊タイプ3両セットのモデルになった車両です。 1999年に発売されたので12年も前の製品で、実車は漫遊からふるさとに名前を変えていますが、未だに健在のようです。


 
 買ってから10年以上走らせていないので、久しぶりに運転してみようかと(^_^)  
 
 
 陸上自衛隊多賀城駐屯地に行くのなら仙山線の多賀城駅でなく、東北本線の塩釜駅に向かいました。 子連れなので少しでも楽しようと、タクシーが確実にいる塩釜駅から、タクシーで駐屯地に乗り付けました(^_^)
  


 さすがに駐屯地内の桜は葉桜になりかけていましたが、当日は天候に恵まれ、絶好の行楽日和でした。

 多賀城駐屯地は、主な部隊として  第22普通科連隊  第38普通科連隊  第119教育大隊 東北補給処多賀城燃料支処などがあり、
普通科連隊が2個という規模の大きな駐屯のように見えますが、第38普通科連隊は即応予備自衛官を受け入れて部隊編成をするコア部隊である上、連隊本部と第1、第2中隊と重迫撃砲中隊が多賀城で、残りの第3、第4中隊は八戸駐屯地に移駐したので、普通科連隊にしては人数が少なく、多賀城駐屯地には普通科連隊1個強が所在する感じです。 普通科部隊の駐屯地なので、小銃、機関銃、対戦車火器、迫撃砲などの普通科装備の展示が充実しています。 首都圏の駐屯地における展示よりも、多賀城駐屯地では観客もすくないので、これらをじっくり見られます。  


   
 
 2011年3月11日14時46分に震度7の大地震に襲われ、多賀城の部隊は訓練通りに迅速に災害派遣の準備を整え、トラックなどの車両を営庭に並べたところで、15時59分に駐屯地を津波が襲いました。 
 多賀城駐屯のHPで津波襲来の様子が紹介されています。
  津波に襲われた後から、部隊は夜間にかけて救助活動を行いました。
 
 

 行事は他の駐屯地同様、式典、観閲行進、訓練展示(模擬戦闘展示)と行われますが、多賀城駐屯地の場合、前回(平成23年)は東日本大震災の影響で中止だったかと思います。大規模災害派遣で記念式典どころない上に、駐屯地自体が津波に襲われた被災地になりました。

 今年の式典では、東日本大震災の犠牲者に対する黙祷と弔銃の発射がありました。
 昨年は、どこの自衛隊関係の施設に行っても、東日本大震災関連の救助装備や、災害派遣のパネル展示などが目立ちますが、今回の多賀城駐屯地では災害派遣関係の展示はテント一張りくらいで、わりと控えめです。
 多賀城駐屯地自体が被災地の真っ只中に立地し、ここが災害派遣の拠点の1つになって、数多くの救援活動を長期に渡って行ったので、多くの県民は自衛隊の災害派遣活動を眼にしたので、今さら展示しなくても十分自衛隊の活躍は広く知れ渡っているからだと思います。

 式典の後は観閲行進で、駐屯地に所在する教育隊の各隊が徒歩で行進します。
 しかし、前日の雨の影響で行進の起点周辺に大きな水たまりが出来ていて、足踏みをしただけで泥が跳ね上がります。
 男性隊員は半長靴だったのでまだしも、女性隊員はストッキングにパンプスなので水たまりを行進するとたいへんなことになるので、水たまりをさけたルートに変更されていました。 それでもパンプスが泥だらけになるので、女性自衛官は大騒ぎでしたが。。



 4月に入隊したばかりの隊員も行進を行いました。入隊したばかりにしては、堂々たる行進でした。



 車両の行進も起点で見学していたので、観閲官への敬礼などのメインの様子はよく見えないのですが、起点で待機する車両をよく見ることが出来るので好きな場所です。 マイナーな場所なので人混みに揉まれずに、のんびりと見学できます(^_^)



 最初は第22普通科連隊の車両行進です。
 22普連は自動車化された普通科連隊なので、高機動車などの車両行進が続きます。



 まだ使用していたんだ73式小型トラック(旧型)。  三菱がジープのライセンス生産を行い納入された車両ですが、97年に製造は終了していますが、官庁の中でも物持ちがいい自衛隊なので未だに使用していますが、退役が進んでいる装備です。 



 73式小型トラック(旧型)に代わって96年から調達されているのが、73式小型トラック(新型)です。
 旧型が老朽化したのと排ガス規制の関係で、同じ三菱のパジェロベースの車両に置き換えられました。
 名前が旧型と同じく73式小型トラックという名前で導入されたのは、同じ三菱から引き続き調達を続けるための大人の事情です。(今は1/2tトラックが正式名称になってます) 
 


 新旧並んでみると、自分の好みでは新型のパジェロベースの方です(^_^)
 プラモデルでも新型の方はモノクロームから、旧型の方はまもなくファインモールドから発売される予定です。作りたい(^_^)


 普通科部隊なのでわらわら入場してきたのは軽装甲機動車。
 8輪の96式装輪装甲車も好きなので見たかったのですが、22・38普連ともに96式は配備されてなかった・・・・



 普通科の支援火力120㎜迫撃砲。 重量があるので高機動車が牽引します。



 行進が終了すると、そのまま装備展示会場に120㎜迫撃砲がやって来ます。
 1/144の120㎜迫撃砲は市販されましたが、その前にプラ棒なので自作したほど私は迫撃砲好きなので、コリメーターを使った照準方法など隊員さんよりいろいろ教えてもらいました。



最後は多賀城燃料支処の3t1/2燃料タンク車。  陸上自衛隊で使用する燃料の保管、整備を行う部署で、東日本大震災ではここの燃料、灯油類を放出して避難所などに供給したことが思い出されます。


 観閲行進が終了すると、音楽隊の演奏、銃剣道の訓練展示、カラーガード隊の演技の後は、模擬戦(訓練展示)です。

 阪神大震災や新潟県中越地震以来、模擬戦の代わりに災害派遣で山火事の消火や、地震で倒壊した建物からの救助活動などの展示をすることが増えましたが、今回は模擬戦です。
 まあ、多賀城が被災地で1年前に住民は自衛隊の災害派遣を目にしているので、わざわざ災害派遣と救助の展示をすることもないし、1年前の記憶をわざわざ蘇えらせることもないかと思うので、これが正解かと。



 訓練展示を見学した場所は、グランドの端の方、攻撃を行う部隊が進入してくる入口に近い場所でした。 式典が始めっても、子どもと一緒に会場をうろついていたので、訓練展示を良く見られるメインのスタンド周辺はすでに人でいっぱいなので、だれも人がいない入口付近での見学です。 遅く陣取っても、首都圏の駐屯地祭と違って最前列で見学できるのも多賀城駐屯地の魅力です。 この場所は進入する部隊の様子が良く見えますが、メインの戦闘は見学場所から離れたメインスタンドの前辺りで行われるので、一部何が行われているか判らない部分があります(^_^;)


 模擬戦の状況が始まると、一番最初は定番のオートバイ(第6偵察隊・大和駐屯地)による偵察から。 他の駐屯地よりも多い6台での偵察。ぬかるみの水溜まりの中を疾走していきます。 



 そして対抗部隊(仮想敵)を発見すると、生身のオートバイではかなわないので、87式偵察車が出きて、攻撃を加えて敵情を探ります(威力偵察)



 そして仕上げにUH-1Jヘリコプターからレンジャー隊員が潜入のためにリペリングで降下します。
 残念ながら見学場所が降下地点からかなり離れていますが・・



 攻撃準備の為に迫撃砲を牽引した車両が進入してきます。 120㎜迫撃砲は22普通科連隊重迫撃砲中隊。
 81㎜迫撃砲は同じく迫撃砲中隊。 



 同じく支援のために、FH70 155㎜榴弾砲(郡山駐屯地・第6特科連隊)と、 MLRS 多連装ロケットシステム(仙台駐屯地・東北方面特科隊第130特科大隊)、そして対空火器の近距離地対空誘導弾(郡山駐屯地・第6高射特科大隊)が1基ずつ展開。



 FH70155㎜砲が地雷原開拓を行う施設部隊の為に支援射撃を開始。 砲に近い場所だったので空砲といえども大きな発射音と衝撃が来ます。  県道23号にかなり近い場所で発射するので、道を行く人や車はもっとどっきりするでしょう。



 地雷原の開拓が終了すると、74式戦車が2両進入してきます。





 敵陣に向けて105㎜砲を空砲で発射。
 近い場所で発射するので、子どもの耳にはしんどいです(^_^;)  周りの子どもはすべて耳を両手で覆いました。



 戦車砲による支援射撃が終わると、22普通連隊の軽装甲機動車5両登場。



 、MINIMI 5.56mm機関銃MINIMIを発射しながら、戦車の間を抜けて敵陣に突進していきます。



 最後は、支援射撃を行っていた74式戦車も続いて突進。
 上空にはヘリコプターも征き、フィナーレに相応しい情景を演出して状況終了です。



 


 模擬戦が終了すると、参加した車両の1部が装備品展示会場にやってきます。
 例年の通りなので、展示会場で待っていると、展示する車両たちが自走して来ます。



 模擬戦で空砲発射を行ったFH70155㎜砲も即展示。



近距離地対空誘導弾



 そして敵陣の前まで突進した74式戦車も、車長の誘導により長い距離を後進で、展示場所に。



 他の駐屯地では展示会場に車両が進入する際には規制線が張られて遠ざけられるのですが、ここは節度を保って見学するのであれば動く戦車の近くにいても咎め立てはされませんでした。



 90式戦車、10式戦車と後輩の戦車が登場しても、74式戦車は人気は衰えない・・・



 他の駐屯地では74式戦車の展示が始まると、観客が大勢押し寄せてきますが多賀城の場合、展示場所が荷物検査のチェックポイントを通る会場の外だったので、訓練展示が終了した直後に会場から出て装備品展示に来る人が少なかったこともありますが。

 ホームページを更新しない間、1/35の戦車を使った情景模型の制作の方に浮気していました(^_^;) 
 情景模型を作る予定なので、キャタピラーに付いた泥に特に感心がありました。






 駐屯地を出てから、仙石線の多賀城駅を目指します。 津波の被災状況を見るために徒歩で向かいました。
 出てすぐの県道23号は砂押川の橋を渡ります。 ここから海までは1㎞以上離れていますが津波は押し寄せ、川の護岸には未だに津波の大きな爪痕が残っています。



 砂押川に沿って歩き始めましたが、護岸の堤防や川沿いの道路の縁石はかなり痛んでいます。
 津波が川を溯ぼり、そして川からあふれ出し、広範囲に被害をもたらしました。
 川の堤防も平成25年の完成を目指して復旧工事が行われています。 堤防沿いの遊歩道は工事で通行止めになっていました。



 被災から1年が経過し、川周辺の住宅地はかなりきれいにかたづけられておりますが、あちらこちらの住宅に、床下、床上浸水したような跡が各所に見られます。 建物が解体されて更地になっている場所や、新築工事が始まっている工事現場も見られました。
 現地の人に話を聞くと、まだ修繕の行われていない家の多くは空き家になっており、住民は避難所で生活されているようです。
 
 仙石線の多賀城駅周辺は連続立体事業が進行中ですが、地元の人によると津波は海から2㎞離れた多賀城駅の近くまで押し寄せて来ましたが、駅周辺には達しなかったそうです。
 


 仙石線は東日本大震災における津波の被害で高城町~陸前小野の区間がまだ不通でバス代行輸送が行われています。 
 被災区間を内陸にレールを移し、全線再開になるのは2015年頃かと思います。
 
 仙石線はNゲージの製品化に恵まれていて、205系3100番台はKATOからパンタグラフの違いによる2種、ラウンドハウスから2WAYシート編成色とマンガッタンライナーⅡの2種が発売されていて、現役の車両はタイプもありますが揃っています。
 かつて走っていた103系より以前の車両たちも、ラウンドハウスやTOMYTEC、トミックス、GMから発売されました。

 休日の昼間の時間帯、間が悪く30分近く、あおば通方面の列車が来ないので、ちょうどきた反対側の東塩釜行きの205系3100番台に乗り、1駅戻って下馬駅で降りて駅前をうろつき、10数分後に、あおば通行きの列車に乗りました。



 下馬駅に戻り、上りのあおば通行きの列車は、いつかは乗りたいと思っていたマンガッタンライナーⅡの車両でした。
 


 外観よりも、ロングシートとクロスシートに転換できる回転式クロスシートに改造された2WAYシートの方に感心がありました。
 仙台近郊で4両編成のうえに、間隔が30分近く空いていたので車内はやや混み合っています。 シートは片側がクロスシート、もう片側はロングシートに。
 幸い2つの空席を見つけたので、クロスの方に座ってみました。 もともと205系だと思えば極上の座り心地です。JR東日本、なかなかいい仕事しています。



 東北楽天ゴールデンイーグルスの試合が行われるKスタ宮城球場は仙石線の宮城野駅から歩いて5分ほど、地下ホームからJR東日本も楽天に歩調を合わせ、楽天カラーで彩られています。 ホームからコンコース、階段、地上出口までチームのロゴマーク、ポスターで溢れています。



 私はかつては日本のプロ野球が好きで球場にも何度も通っていました。 しかし、昔から違和感があったのがプロ野球の観戦に来たのに、私設応援団に合わせて声を合わせて応援することでした(^_^;)  小学生の頃、私設応援団に応援を強要されたのがトラウマになっているのかも(^_^;)

 それが1995年に近鉄にいた野茂英雄選手がLAドジャースに入団し、活躍し始めるとメジャーリーグ好きの友人と一緒にアメリカのメジャーリーグの試合の観戦に毎年行くようになりました。
 メジャーリーグの球場の雰囲気は日本の球場と違って、ホームチームの応援がほとんどで、ビジターのチームを応援する人はチラホラといるくらい。 極端な話し、ホームチームがヒットを打つと大歓声が上がるけど、ビジターチームがホームランを打っても、拍手も歓声もなくシーンとしている日本のプロ野球と比べると異次元の世界のプロ野球がメジャーリーグでは行われていました。

 かつては、野球場には高校野球と同じようにホームとビジターの応援団がいて、観客も1塁側がホームチームのファン、3塁側がビジターチームのファンに別れているものだと思っていました。 
 かなり以前ことですが、私がまだ日本のプロ野球に感心があったころ、鉄道旅行のついでに当時の広島市民球場で広島対巨人軍の試合をみました。 そこでは巨人のファンはレフト線寄りの外野席に応援団がいるくらい。 スタンドの観客のほとんどがカープファンで、他の球場に比べてものすごく違和感を感じました。

 しかし、メジャーリーグの球場巡りを始めると、メジャーでは広島市民球場のような状態が当たり前で、観客はホームチームのファンがほとんど、応援はホームチームの応援だけ、そちらの方が本来の姿ではないかと思うようになりました。
 それと、ビジターチームの私設応援団が存在するのも不思議に思うようになりました。 東京ドームになんで、阪神の私設応援団がいるんだろう(^^;)
 もちろんメジャーの場合は地域チームの性格が非常に強く、国土が広くファンがあまりチームの追っかけをしないので、球場全体がホームチームのファンで、ビジターチームのファンはちらほらと見えるくらいです。

 そんなズレから日本のプロ野球からは遠ざかっていましたが、2005年に東北楽天が設立されると、地域重視(といっても仙台や宮城県だけでなく東北地方全体と広域)で、球場の雰囲気はメジャーリーグを参考にしているので、自分の野球観戦スタイルにもっとも相応しい球場だと、思い3回ほど足を運びました。
 楽天の球場は思った通り、楽天のファンに球場内が覆われている感じで、一塁側の内野席も楽天のファンに満ちあふれており、メジャーのボールパークのような雰囲気(^_^) ビジターチームの応援団は1塁側外野席のビジター応援エリアに隔離されています。

 楽天はAクラス入りしたのが2009年の2位だけで、他は6回はBクラスが定位置で、うち最下位が3回という弱小球団です(^_^;)
 でも、地元のファンには負け続けているチームを暖かく応援しようという雰囲気に満ちあふれていて、これは私の好きなメジャーリーグの球団コロラド・ロッキーズ(このCR旅客鉄道の名前の由来ですが)の地元ファンと通じるものなので、これかも楽天の応援に球場に通おうかと思います(^_^)


 さて4月28日(土)の東北楽天と北海道日本ハムファイターズの試合ですが、天候も良く観客も良く入りました。

 長い間、日本のプロ野球から遠ざかっていたので、プレーするのは知らない選手ばかりです(^_^;)
 2年前も楽天対日本ハムの試合を観たのですが、覚えている選手は2,3人ほどしかいません。 先週の会議でも仙台の人に、「来週、楽天の試合を観にまた仙台に来ます。」 と言ったら、「私は星野さんに監督が替わってから行かなくなりました。」 と言われたときに、「楽天の監督って、星野仙一さんがやっているんですか?」と答えたら、あきれられました(>_<)
 それほど、日本のプロ野球のことに疎くなっていましたが、日本ハムの先発は斎藤佑樹投手で、ハンカチ王子だけは知ってる(^_^;)

 席は野球観戦は2、3年に一度くらいなので、どうせならいい席と楽天の予約のページから一番高いゴールデンシートのバックネット裏の最前列を購入しましたが、前の列は年間販売のプレステージシートで、座席もワンランク上、飲み物もビールなどのアルコール類も含んで無料というプレミアムなシートで、なかなか羨ましい・・・
 
 

 試合の方は、楽天の先発ヒメネスがぴりっとせずに1回に日本ハムが1点先行しました。
 稲葉篤紀内野手が打席に立つと、日本ハムの選手なのに周りから拍手が湧く・・・・  ライト前にヒットを打ち二塁ランナーが生還すると、これまた大きなどよめきが・・・・   
 ベンチから多くの選手が飛び出してきたので、ホームでのクロスプレーの判定に問題があって乱闘かと勘違いしてたら、稲葉選手が2000本安打を達成したそうで、一時試合中断で花束贈呈などが行われました。 観客のほぼ全員が稲葉選手の2000本安打を期待していたというのに、知らないということは恐ろしい(^_^;)



 楽天のピッチャーもぴりっとしなかったけれど、日本ハムの先発ハンカチ王子も切れ味が悪く、適度にフォアボールやヒットでランナーが出塁するので、投手戦と違って楽しめました。


 席の近くを見ると、熱心にパソコンやビデオを撮る集団がいました。 よく見ると楽天や日本ハムを始めとする球団のスコアラーの席みたいでした。 試合の展開よりも、スコアラーのプロとしての仕事っぷりのほうが気になって、仕事ぶりを見入ってしましました(^_^;)




 子どもは周りのファンに影響されて、700円のミニバットを買って応援・・・  初めての野球観戦も楽しんでくれたようですが・・・・

 しかし、4回の表くらいから野球の試合の同じようなパターンの繰り返しに飽きてきたのか、「早く帰ろうよ!」の連発が始まりました・・
 これは、初めての野球観戦で子どもには9回まで観てられないは、予想の範囲内だったので、当初から5回以降はいつでも途中出場するのは覚悟していました(^_^;)
 何とか5回の裏が終わるまでと、子どもをなだめすかして5回の裏までいましたが、その5回の裏に楽天が3点を取り、3対1で逆転したので満足してスタンドを後にしました。   その後の6回の表に日本ハムが2点をとり同点となり、その後、3対3の同点のまま10回引き分けの終了となりました。


 子どもが試合に飽きたといってスタジアムを早々に退出しましたが、Kスタ宮城球場の周りはメジャーリーグでもここまではやらないだろうと思うほど、球団がファンサービスの子ども用のアトラクション、ファンサービスコーナー、公式グッズのショップが並んでいて、子どもの興味を引くものが並んでいます。
 結局、早く帰ろうと言った割には、あそぶひろばで遊ぶことになり、その間、球場の外のフードバスが並ぶ一角で飲み食いしながら、モニターで野球観戦をしていました・・・  これもメジャーリーグの野球観戦ぽい(^_^;)



 仙台に来たからには、アーバンウオッチングで訪れたい場所が2カ所ありました。 1つがせんだいメディアテークで建築家の伊藤豊雄さんの代表作で2001年に完成した図書館を中心とした施設です。 独特の内部構造を見てみたいです。
 もう一つは、地下鉄の終点の泉中央駅前に大規模なペディストリアンデッキがあり、今後のレイアウト制作のために視察したい。

 しかし、朝からハードな日程をこなしてきた子どもは体力の限界に達していたらしく、視察してみたい場所はどちらともあきらめ、仙台駅東口に新店舗を建てて2日前にオープンしたばかりのヨドバシカメラ マルチメディア仙台店に寄って帰ることにしました。



 ヨドバシカメラのNゲージの在庫は見るべきものはありませんでしたが、他の売場ではオープンセールもあってか、ものすごい勢いで商品が売れていました。 この後、訪れた駅ビルでもゴールデンウィーク初日ということもあるでしょうが、なかなかの売れ行きでした。

 後日、仙台の人に「仙台は景気がいい」と言ったら、「景気のいいのは瓦礫処理などの一部の人たちだけですよ」、と言われましたが、「他の地域では、仙台ほど景気は良くないですよ。」と答えておきました(^_^)  ヨドバシカメラはいいタイミングで増床開店を迎えたようで・・・・

 仙台にはボランティアがらみで年内にあと3回訪れる予定なので、その際にはアーバンウォッチングでメディアテークと泉中央駅を訪れようかと思います(^_^)


 6月に入り、今頃になってゴールデンウィークのカビの生えた話しを長々と申し訳ありませんでしたm(_ _)m

 次回は、節目の制作記250回なので、県庁周辺の整備の総括と、新たな展開について記したいと思います(^_^)


   製作記#1~100  #101~150    #151~200   #201~250