2016年ハワイ 戦艦ミズーリへの旅#4(戦艦ミズーリ#2)
                                           

 2020年11月11日更新         

 上甲板から艦橋に上がります。


 艦橋は航海艦橋があるだけで、艦の大きさに比べたら余り高さはありません。
 艦橋へ昇って行くと、ウイングの外壁に、ミズーリが受賞した略綬や、「E」と書かれたBattle Effectiveness Award(戦闘効果賞)の下に三本線が引かれているので、三度受賞したことでしょう。右側の10個あるマークは機雷のようで、湾岸戦争でイラクが撒いた機雷をこの戦艦が処分したことでしょうか? 下を見ると同じく青地で「E」と描かれ三本線がついているので、物流管理優秀賞も3回獲得したと思います。

 

 アメリカの戦艦の艦橋は、戦艦マサチューセッツ(マサチューセッツ州フォールリバー市)と戦艦アラバマ(アラバマ州モービル市)の艦橋に入りましたが、いずれの艦も艦橋は低くなっています。戦前のアメリカ海軍の戦艦は籠マストを採用して、以上に高さのある通天閣みたいな形をしていましたが、籠マストは戦闘時に脆弱性があるのと、射撃指揮装置の大型化とレーダーなどの電子化が進んだので、条約明けのノースカロライナ級の戦艦は低い艦橋になっています。

 

 航海艦橋に入ると巨大な円筒形のものが大きく面積を占めています。
 
 

 これは砲戦をしているときに航海指揮の中枢部分を砲撃から守る司令塔で、厚さのある装甲で守られています。

 戦艦対戦艦の砲戦による海戦はロマンを感じますが、この装甲の厚さを見ると、戦艦対戦艦の戦いの過酷さが伺えます。
 第二次世界大戦中の帝国海軍の戦艦12隻中、戦艦対戦艦の海戦を経験し、沈められたのは戦艦 霧島と戦艦 山城のみでした。残りは航空機か魚雷によって沈められているので、戦前に想定された戦艦対戦艦という海戦は実際には2回しか起こらず、違った戦いになりました。(イギリス海軍とドイツ海軍は
 この戦艦ミズーリも

 

 中にはアメリカ海軍の大型艦に付けられている標準的な操舵輪がついた操舵装置と、速力指示器。そして潜望鏡があります。
 さすがにこの時代の艦には伝声管は見当たらずに、テレトークが付けられています。

 実際の砲戦時には、司令や艦長はこの場所ではなく、艦橋の下のCIC(戦闘指揮所)で戦闘指揮に当たります。
 ここではCICから操舵や速力の指示を受けて操艦します。 

 

 司令塔の前に通常の航海艦橋(The Navigation Bridge/Pilot House)がありますが、狭い空間で装甲などほとんどない空間です。
 アメリカの戦艦、ウェストバージニア、アリゾナ、テネシーなど条約前の旧戦艦は航海艦橋の下の別の層に司令塔を設けていますが、条約後のノースカロライナ級、サウスダコタ級、アイオワ級はいずれも航海艦橋の中に司令塔が入っているので、艦橋の高さを低くすることに成功していますが、航海艦橋の前面部分は司令塔の為に狭くなっています。

 

 高さのあるシートは艦長席。
 艦橋で座れるのは艦長と司令のみ。
 以前、アメリカ海軍の艦橋でXO(副長)や当直将校も席に座れるかと質問したら、艦長以外は席には座れないと、きっぱりと言われました。

 

 航海艦橋の窓から艦首方向を望みます。
 想像していたのより、艦橋のからの高さは低く、二番砲塔の天蓋がかなり近くに見えます。第二次世界大戦のミズーリは、この二番砲塔の上には4連装40㎜機関砲が載っていました。
 艦首の軸線上にアリゾナ記念艦が見えます。

 

 司令塔の覗き穴からも装甲の厚さが覗えます。

 

 海図台(The Chart House)も小物が多く置かれていて、臨場感があります。

 

 艦橋脇のウイングに出ました。

 

 ウイングには見張りが交代で長時間立つので、床に木のスノコが敷かれています。
 これは靴を履いていても、金属の床に立つのと、木の床に立つのでは疲労度がかなり違いがあるので、帝国海軍も海上自衛隊も操舵手の立つ位置には、木のスノコが敷かれています。
 
 

 艦橋の高さは低いなと感じていましたが、ウイングに出て岸壁の見下ろすと、舷側の高さも加わって高さを感じます。

 

 航海艦橋の上は防空指揮所(Fiying Bridge)があります。

 

 そこにデンと構えている装甲された円筒形の物は、主砲射撃指揮所でしょうか。

 

 我が家にあるタミヤの1/350戦艦ミズーリは、第二次世界大戦仕様になっているので、近代化改装され、その後、記念艦になったミズーリの昔の姿を見るのに適した教材です。
 近代改装後は探照灯がなくなり、ロッドアンテナの位置も違っています。

 

 

 覗き穴にも防弾ガラスのカバーが付けられています。バタンと閉めるのではなく。ギヤで上昇させて閉めます。

 


 防空指揮所(Fiying Bridge)です。対空戦闘時の操艦を指揮するので、見晴らしはいいです。
 しかし空襲下に、むき出しのデッキの上で指揮しなければならないのも、第二次世界大戦中の海軍軍人も辛いものです。

 この場所は2012年のSF映画「Battleship」で、主人公のアメリカ海軍ホッパー大尉と海上自衛隊ナガタ一等海佐が、記念艦ミズーリをいきなり戦艦に復帰させてエイリアンに最後の戦いを挑んだシーンで使われました。

 

 メインマストを仰ぎ見る。
 第二次世界大戦当時と基本的な形は変わりませんが、電子機器(アンテナ)等が更新しています。
 記念艦になる前にモスボールされていたときに外されていたSPS-49対空レーダーも再び付けられています

 

 

 このデッキの一部には、1944年の竣工時からの70年以上前のチーク材の甲板(Original Teak Deck)が残されています。この場所は、波に洗われることも、雨風にさらされない場所なので、一度も張り替えられることもなく残ったのでしょう。

 

 アイオワ級戦艦には副砲として水上及び対地、そして対空用の連装Mk.22 5インチ砲(127?砲)があります。
 
 1門当たり毎分15発から22発という発射速度の速さ。それに対日本機用に発明された(VT信管)は砲弾から電波を出して、目標の敵機の近くで自動的に炸裂する高射砲弾の威力で、多くの日本機が撃墜されました。
 この5インチ砲と40?機関砲の組み合わせは、日本海軍の12.5?高射砲と25?機関砲の組み合わせを大きく凌駕したと思います。あまりにも日本とアメリカの艦船の対空砲火による戦果の差が大きすぎました。
 
 

ミズーリの武装の変遷は以下のようになります。
1944年の新造時 
16インチ(40.6?)主砲 3基9門 
 5インチ(12.5?)両用砲 
40㎜4連装機関砲 20基80門
20㎜単装機銃   49丁

 これが1968年になると、主砲と両用砲の数は変わりませんが、40㎜機関砲と20㎜?機関砲は全廃
 
 さらにロナルド・レーガン第40代合衆国大統領の時代は冷戦末期の最盛期に、海軍600隻艦隊構想により、モスボールされていたアイオワ型戦艦4隻が揃って近代化改装されて、2度目の現役復帰しました。
 近代化改装により、トマホーク巡航ミサイルが32発、RGM-84ハープーン対艦ミサイルが16発が搭載され、対空兵器としてCIWSファランクス20㎜バルカン砲 4基が備えられ世界でも最強の装甲に守られた艦になりました。
 そのかわり、副砲である5inch両用砲は10基20門から、6基12門に減らしています。

 

 戦艦ミズーリは1991年に湾岸戦争に参加し、28発のトマホーク巡航ミサイルを発射後、陸上のイラク軍拠点に対し4日ほど艦砲射撃を実施しました。
 戦争中のミズーリの損害は味方艦からCIWSで誤射されて、負傷兵がでたのみでした。

 

 岸壁側の左舷には、CIWSファランクスが付けられていますが、右舷にはファランクスはなく、20㎜バルカン砲の銃身のみが三脚に据えられています。
 モスボールするときや、記念艦になるときには、取り外し可能な武装や電子機器は取り外されるので、高価なファランクス外されて代わりのものが据えられています。

 

 戦艦ミズーリの各所に置かれていたベンチですが、台座は主砲の装薬(Gun Powder)の収納ケースを利用したものです。