2016年ハワイ 戦艦ミズーリへの旅#3(戦艦ミズーリ#1)
                                           

 2020年10月21日更新 2020年12月1日加筆訂正   


 3日目は真珠湾に行き、戦艦ミズーリや真珠湾航空博物館、潜水艦ボーフィンの見学と、ホノルル国際空港(当時・現在はダニエルK・イノウエ国際空港に名称変更)に行って飛行機の操縦体験です。
 趣味全開の盛りだくさんの内容でしたが、この手の趣味のない人と行くと退屈されるのと、同行者を気にせずにたっぷりと軍艦と航空機や基地を見てみたいので、この日は単独行動を取りました。
 一応誘いましたが、メニューを聞いたらノーサンキューと言われました(^_^;)

 


 レンタカーでワイキキのホテルから、H-1フリーウェイで真珠湾に向かいます。
 オワフ島で運転していて、ワイキキ市街地以外ではあまり神経を使わずにレンタカーを運転することが出来ますが、ワイキキから真珠湾周辺を結ぶ、H-1フリーウェイは通行量が多く、片側3車線から4車線ありますが、車線が狭いしカーブもあり、アメリカのフリーウェイにしては運転が難しいフリーウェイでした。また、ワイキキの繁華街では一方通行が多いのと、歩行者が大勢歩いているので交差点では注意しなければならないところです。


 ダニエル・K・イノウエ国際空港からワイキキまで鉄道が建設中です。、ホノルル高速交通公社が2020年末に部分開業、全線開業は2025年の予定です。
 工事中の高架線路が見えました。

 
 

 真珠湾の海軍基地に近づくと、昨日と同じように、GoogleMapのGPSによる現在地の特定が途絶えます。
 まあカーナビゲーションが途絶えても、目的地のパールハーバービジターセンター(真珠湾観光案内所)には分かりやすい場所にあるので問題はありません。

 これから戦艦ミズーリと真珠湾航空博物館(訪問当時は太平洋航空博物館という名称であった)に行くには、ビジターセンターでチケットを買い、連絡バスに乗って橋を渡ってフォード島に向かいます。

 順番としては、1番のビジターセンターで見学チケットを買い、バスに乗り2番の橋を渡り、3番の記念艦ミズーリに行き、またバスに乗り、4番の真珠湾航空博物館に行き、再びバスに乗って、1番のビジターセンターに戻ります。
 チケットは戦艦ミズーリが$29.99 航空博物館が$25 潜水艦ボーフィンが$15 合わせて$69.99(日本円で7,400円程度)だったかと思います。

  

 フォード島はアメリカ陸海軍の基地と連邦政府の施設がある場所なので、一般人が自由に立ち寄れず、連絡バスに乗らないと行けません。
 バスに乗っても、橋も島内の施設もセキュリティの為にバスからは撮影禁止になっていました。

 橋の途中には検問があり、許可車両以外は通行できません。

 

 戦艦ミズーリからアリゾナ記念館ごしに、フォード・アイランド橋を見ると、港の橋らしく道路が上がったり下がったりしています。下がっている部分は浮橋になっていて、船舶が通行するときに、切り離せるようになっています。

 


 フォード島に入っても海軍関係者の住宅地になり、そこを抜けると戦艦ミズーリが現れます。

 

 訪れたときは真珠湾攻撃75周年になる12月7日を翌翌週に控え、ハワイでは様々なイベントが行われていました。
 戦艦ミズーリもイベントが行われ、また式典の準備もされていました。

 太平洋戦争の勝利の立役者 ニミッツ提督の銅像があります。

 
 



 戦艦ミズーリの上甲板と同じ高さまで階段で上り水平になったタラップでミズーリに乗艦します。

 

 戦艦の舷側はかなりの高さになっています。

 
 
 艦橋からはじまる主要構造物は重厚で、まさに浮かべる城です。

 

 上甲板に入り、前部へと向かいます。
 チーク貼りの甲板が綺麗な甲板色です。

 艦首前部には第二次世界大戦中に40㎜機関砲が置かれていた場所は、1984年に再就役した際に取り付けられた、ディスコーンアンテナが取り付けられており、ホノルルの戦艦ミズーリは第二次世界大戦の頃のミズーリとは対空用の武装は始め、だいぶ変化しています。
 

 

 戦艦大和よりも急な角度に上がっている艦首に昇りました。 出来れば艦首先端に立ちたかったのですが、残念ながら立入禁止になっていました。

 戦艦ミズーリに乗艦するのは2度目です。1度目は1995年9月2日の対日戦戦勝記念50周年を記念して、9月2日に日本の降伏文書を署名する会場になった戦艦ミズーリが特別に一般公開されました。
 その時はワシントン州ブレマートン軍港に戦艦ミズーリは同型艦戦艦ニュージャージーと並んで、モスボール(保管)処理されていました。シアトルから1時間半ほどフェリーに乗ったり苦労してブレマートン軍港に行き、戦艦ミズーリに乗ってきました。
 当時は前甲板の前半分と、降伏文書が調印した場所や士官室の一部が公開されました。
 その時は艦首先端まで入れたので、ものすごい高さのある艦首先端から、艦橋方向を眺めると主砲第一砲塔が下に見え、ほぼ第二砲塔と同じ高さでした。
 
 

 20年前のことを思い出して、艦橋方向を振り返ってみました。

 

 このアングルで写真を撮りたかったのですが、作業用テントが貼っていて、残念ながら第一砲塔の姿が良く見えませんでした。

 

 このテントは甲板の張り替えの資材置き場になっていました。
 翌々週の真珠湾攻撃75周年の式典もあるので、そのために貼り替えているのかと思います。お陰で甲板板の張り替えの様子を見ることが出来ました。

 

 砲塔の右側面にマークが描かれています。クエートのシルエットが描かれているので、湾岸戦争で主砲弾286発を発射した記録かもしれません。

 

 舷側の両側に取り付けられた、M2 50口径機関銃 
 これは1987年のペルシャ湾でのタンカー護衛作戦に参加した際に取り付けられたものであろうか。
 それと、先細りになる部分の甲板板の処理方法が興味深いです。

 

 運搬台車に乗せられた16inch(40.6㎜)主砲の砲弾

 

 岸壁ではブラスバンドの演奏が行われています。これも真珠湾攻撃75周年記念行事の一環で、順番で各高校のブラスバンドが演奏しています。
 最初、あまりにもキビキビした動きに、軍の学校のブラスバンドかと思いましたが、ハイスクールの生徒で、日本の高校生ブラスバンドと違い、ほとんど軍人みたいな動きでした。

 

 舷側を艦尾方向に向かいます。

 

 中部は煙突や対空兵装が集中しているため、上甲板の通路は狭くなっています。

 

 後部の第三砲塔の近くに来ると、広い甲板に出てきます。
 
 

 16inch(40.6㎝)三連装砲塔を見ていると、戦没した戦艦大和とイメージが重なってしまいます。
 戦艦って凄いなと感じる眺めです。

 

 第三砲塔の側面にも クエートのシルエットと209の数字が描かれています。第一砲塔が289発だったのに後部の第三砲塔は209発と少なくなっています。
 

 朝鮮戦争では海戦は生起せず、艦砲射撃を行っており、韓国内の三陟市と、北朝鮮国内の清津市、端川市、庫底市、元山市、咸興市、興南市に対し艦砲射撃を実施しています。

 第二次世界大戦中はミズーリは日本にも艦砲射撃を行っていて、硫黄島、沖縄、室蘭市、日立市に朝鮮半島で撃ったよりもはるかに多くの艦砲射撃を行っています。日本人としては、日本本土に艦砲射撃を行った功績は描いてほしくないですが。

 

 後部甲板で一番見たかったところは、1986年の再就役の時に、水上機の施設を全部撤去して、ヘリコプターが着艦できる航空甲板となった部分で、以前、戦艦ニュージャージーのプラモデルを製作したとき塗装で苦労したところなので、実物を見てみようと思っていましたが、その場所は講習会場か式典会場となっていて、テントと絨毯が敷かれていて、航空甲板を見ることが出来ませんでした(^_^;)

 

 艦尾最後部も行きたかった場所ですが、ここも艦首最前部と同じく立入禁止になっていました。
 40m機関砲は改装で撤去されましたが、丸い台座が2つ残されているので、そこに入ってみたかったです。また国旗(軍艦旗)が掲揚されている旗竿のところにも行きたかったです(^_^;)

 

 後部からパールハーバーの軍港を見ると、アーレイ・バーク級のイージス駆逐艦が6隻並んでいました。
 いくらアーレイ・バーク級が性能が良くても、同じ級の艦だけ6隻も停泊しているのは興醒めで、昔のようにスプルーアンス級やタイコンデロガ級が多数並んでいる方が、好きな光景でした。

 

 次は艦橋に上がってみたいと思います。