2016年ハワイ 戦艦ミズーリへの旅#1(オワフ島へ)
                                           

 2019年2月4日更新         

 

 2年前の2016年12月 ハワイ オワフ島に行きました。人生3回目のハワイ旅行ですが、前の2回はハワイではマリンスポーツを楽しみました。
 しかし今回は12月。ハワイは常夏の島ですが12月はハワイとしては冬となり気温も下がり(もちろん気温は20度以上あり日本に比べたら暖かく、半袖で過ごせます)、海で泳いでいる人もいますが、日が陰ると少し寒さを感じます。マリンスポーツは断念し、記念艦 戦艦ミズーリ、真珠湾航空博物館、記念艦 潜水艦 ボーフィン、そしてホノルル国際空港から双発機の体験飛行と趣味を追求したハワイ旅行となりました。
 旅行後、2年を経過していますが、旅行記としたいと思います(^_^)


 ハワイへは成田空港から日本航空782便に乗りました。

 

 機種はB777-200

 

成田を22時に出て、同じ日の9時過ぎにホノルルに到着します。飛行時間は6時間ほど。偏西風が強いので意外と早く着きます。(但し帰りは偏西風に逆らうので3時間ほど余分にかかります)


 ハワイに近づくと夜が明けます。次の日の太陽ですが、日付変更線を越えたので同じ日の太陽を2度迎えたことになります。

 

 下降をしていくと、オワフ島上空に達します。最初に見えた場所はバーバース・ポイントで燃料基地、ゴミ処理場などオワフ島の生活インフラを支える地域です。

 
 
 下の飛行場はかつてバーバース・ポイント海軍航空基地でした。P-3C哨戒機やヘリコプター部隊などが常駐していました。海上自衛隊のP3-Cもリムパックでお世話になった基地です。
 1999年に閉鎖され、現在では州のカラエロア空港になっています。
 下の方に様々な航空機が集まっているのは、バーバース・ポイント海軍航空博物館の展示機です。訪問したかったですけれど、ここは予約なしでは入場出来ない博物館になっています。
  
 

 ホノルル国際空港(当時、現在はダニエル・K・イノウエ国際空港に改名)の8L滑走路に着陸寸前に、空港と同じ敷地のヒッカム・フィールド基地(空軍と海軍が使用)に駐機するF-22Aラプター戦闘機が見えました。
 ハワイ州空軍第154航空団 第199戦闘飛行隊 "The Kukaiumoku"所属機です。
 調達価格も高く、維持費も高いF-22Aステルス戦闘機を財政的に厳しいハワイ州が負担するのはたいへんなことになりますが、F-22Aの調達費や維持費は州負担ではなく、連邦予算から支出されています。

 

 楯状火山のコオラウ山脈を見るとハワイに来た実感が高まります。

 

 スポットイン時に、前方モニター画像を見ると、マーシャラーがパドルを振って機を誘導しています。今時は駐機位置指示灯 VDGS(Visual Docking Guidance System)による誘導が主流で、ハワイを代表する大空港で未だにマーシャラーが振っているのは珍しいと思いましたが、この空港には改修計画があり、改修後には駐機位置指示灯 VDGSに代わるのでしょう。個人的にはマーシャラーによる誘導を見るのが好きなので、ラッキーでした。

 

 レトロな雰囲気のターミナルビルの上には管制塔が載っています。この管制塔は現在使用されてなく、現在はヒッカム・フィールド基地内に、より高さのある管制塔を使用しています。

 

 これは沖合に埋め立てて作った8R24Lのリーフ・ランウェイが出来て従来の管制塔では目視が困難になったからです。この辺りは同じ軍民共用空港の那覇空港が、沖合に新滑走路が出来る2020年に新管制塔に移行するのとよく似ています。
 
 ヒッカム・フィールド基地内の管制塔
 

 那覇空港で建設中の新管制塔。高さが国内2番目になる96.7mの高さになります。(写真は2018年12月現在)

 

 ジェットウエイからターミナルに入ると、窓ガラスのないオープンエアーのターミナルになっていて、ジェット燃料が燃える石油ストーブの臭いを嗅ぐことができます。
 
 

 イミグレーションに向かう下の通路から、搭乗してきたJL782便のお腹を見ることが出来ました。

 


 2011年の9.11テロ事件を契機にアメリカ合衆国への入国審査は厳しくなりましたが、事前のESTA申請と、機械で自分の顔写真と指紋を登録して、イミグレーションオフィサーのところに並び、質問を受け入国スタンプをパスポートに押してもらう。
 国際線の到着が集中する時刻で、けっこう行列していましたが30分ほどで税関からも出られたので、スムーズに通ることが出来ました。

 入国後はホテルのチェックイン時間まで、定番の観光コースを回りました。


 最初に訪れたのは、アロハタワー・マーケットプレイス。港に面した商業施設ですが、かつては豪華客船が訪れるハワイの玄関口でした。船から飛行機へと時代は変わり、船の玄関口の象徴であったアロハタワーも訪れる人も激減しましたが、一帯を商業施設として再開発し、観光スポットとしてよみがえりました。

 

 もちろん今でもクルーズ船がオワフ島を訪れます。この日もクルーズ船を見かけましたが、客船の大型化により対岸のサンド島に接岸しています。

 

 対岸のサンド島にはU.S.COAST GUARD(沿岸警備隊)の基地があります。日本の海上保安庁と同じ任務を行っていますが、U.S.COAST GUARDは陸海空軍、海兵隊と並んで軍事組織とされています。ただし、国防省の管轄ではなく、財務省→運輸省→国土安全保障省と所管省庁は移動しています。

 

 マーケットプレイスの港内には、ボロボロになった木造船が係留しています。
 これはミュージアムシップ、FALL OF CLYDE号で、1878年に建造された世界最古の4本マストの帆船とされています。
 貿易船としてハワイとカルフォルニア間を砂糖や乗客を乗せて往復。その後、タンカーとなり灯油を積んで両区間を往復。
 その後、ミュージアムシップとして保存が決まり、内部も一般公開されていましたが、老朽化のために現在では閉鎖されています。大規模修繕の計画や、生まれ故郷のスコットランドに帰還させようかとか計画が持ち上がりましたが、財政的な問題ですべて頓挫しています。
 4本のメインマストを残して、多くのパーツが取り去られているので、栄光ある4本マストの帆船に見えない状況に陥っています。万策尽きて解体か、海洋水没処分になるようです。

 

 そんな港内の海の中を見ると、多くの魚が群れています。チョウチョウウオを始めとする熱帯魚ばかりで、南の島に来たのを実感します。

 

 マーケットプレイスの敷地の中にも、港の入港標識が立てられています。

 


 次に向かったのが、これもオワフ島観光の定番中の定番、ヌウアパリ展望台に行きました。

 

 ここはオワフ島の背骨のようなコオラウ山脈の上で、展望台は切れ目のようなところにあるので、常に東風の強風に襲われる場所です。
 帽子を被っていたら確実に飛ばされるくらい、強風が常時吹いています。この屏風のようなコオラワ山脈のお陰で、ホノルル市内は風から守られているような気がします。

 

 あいにく天候は曇で、風は強いですが靄がかかったように霞んでいます。 下にはカネオヘの市街地が広がっています。
 
 ここはカメハメハ大王のカメハメハ軍とオアフ島のオアフ軍が最後に戦った古戦場でもあります。
 ハワイ島出身のカメハメハ大王は白人から銃器、火砲を購入し、ハワイ全域の統一を目指しました。1795年にオアフ島に上陸したカメハメハ軍とオアフ軍が最後に激突したのが、このヌウアヌパリです。
 火力に勝るカメハメハ軍に圧されたオアフ軍は、この50m以上ある断崖から転落したり、突き落とされたりして壊滅。後に800名以上の兵士の人骨が見つかっています。

 

 右手の方にはカネオヘ海兵隊航空基地が遠望できます。海軍の哨戒機P-3C、P-8の部隊も展開しています。 海上自衛隊もリムパックで、お世話になっています。
 1941年の真珠湾攻撃の時も、この基地を攻撃しています。

 

 風速が50mにも達する強風が常時吹いているので、展望台付近の植生は西の方向になびいた草木になっています。

 

 展望台付近には、野生化した鶏が多数生息しており、人目を気にせずに集団で逞しく生活しています。