レイアウト制作記#217  
                       更新日2011年8月2日更新
              

2011年7月30日(土) 記念艦USS Doorsの建造#2(ウォーターライン化) 



1/144のフレッチャー級駆逐艦の組立を始めます。
 最初にお断りしておきますが、私の本業はレイアウト制作なので、大型艦船模型の制作は初めてでして、艦船模型の正式な作法は知らないので、自己流の作り方になります。

 また、艦船模型の制作にあまり時間をかけていると、本業のレイアウト制作の方が遅滞するので、迅速性を重視をモットーとして、多少の塗装の乱れや、ハミ出しは気にしないことにします(^_^;)

 それと仕上がりの時代設定ですが、キットの方は第二次大戦中の1942年の状態で、塗装指示書と完成見本写真は複雑な迷彩塗装になっています。 しかし、現代のレイアウトに置くので現代に記念艦として公開されている仕様としたいと思います。



 モデルとして参考にするのは、アメリカのマサチューセッツ州ボストン港に係留されている記念艦USS Cassin Yoang(DD−793カッシン ヤング)です。
 カッシン・ヤングは1943年にフレッチャー級駆逐艦中175隻中164番目に誕生した艦で、1960年まで現役でしたが、今ではボストンで国立公園局の管理で、パークレンジャーと多くのボランティアスタッフによって管理され、記念艦の中でも、たいへんコンディション良く一般公開されています。
 公開にあたって、第二次大戦中の装備、20?機関砲や爆雷などが再び取り付けられ、大戦中の状態に戻すよう努力されています。 一番の戦歴が沖縄沖で神風攻撃隊と戦い、特攻機に突入され被害を受けたことです。



 日本では記念艦として、日露戦争で黄海海戦、日本海海戦を戦った戦艦三笠が横須賀にあります。
 今月、記念艦を造るモチベーションを上げようと横須賀に行ってきました。



 防衛省所管の記念艦ですが、管理は財団法人 三笠保存会に委託されています。



 戦艦三笠を記念艦として残すため、2度と戦艦として使用できないように、船体下部にコンクリートが注入され船体のまわりもコンクリートで固められ、他のほとんどの記念艦が海上に浮かべられているのに比べ、陸上に固定されています。
 これは記念艦になる1925年には1921年に締結されたワシントン軍縮会議による船艦の戦艦の保有制限があり、廃艦から保存されるためには、2度と戦艦として使用できないようにしたためです。



 主砲の示す先は、アメリカ海軍横須賀基地ですが、これは舳先を皇居に向けたためです。

 主砲は30?砲、そして副砲は15?砲と7.6?砲ですが、本物の砲はすべて撤去されたので、これらはすべて外見を似せた作り物です。
 7.6?砲(今の護衛艦の主砲と口径は同じですが)の一部は左右は身体で、上下は旋回ハンドルで動かすことが出来るので、子どものおもちゃになっていました。

 

 第二次大戦後に進駐軍の命令で、火砲、艦橋、煙突などが撤去され、進駐軍のダンスホールや水族館になり、一時はかつての戦艦の面影はなくなりました。
 その後、帝国海軍を打ち負かした立役者のニミッツ提督を始めとする内外の人たちの尽力により、三笠はかつての記念艦として復活することになったのは、今から50年前の話です。

 艦上のかなりの部分が、外見を似せて造り直したり、海上自衛隊の装備品を流用したものが置かれて、オリジナルの部分がたいへん少なく、記念艦としてはスジが悪いものですが、日本海海戦で世界に名を残した戦艦が横須賀で公開されているのは、たいへん貴重です。

 

 特に今年の年末にNHKで放送される坂の上の雲では、この三笠が舞台になるために、多くの訪問客で賑わうことでしょう。
 
 自分は小学生の頃、父親に連れられ戦艦三笠を訪れました。  その時、売店で買ってもらったのが三笠の文鎮でした。



 それと、まったく同じ物がまだ売店に売っており、他にも三笠の模型は数種類売っていましたが、自分の子どもにねだられて買ったのも同じ文鎮でした。   親子二代して同じお土産物を買うとは・・・・・  歴史は繰り返す、ですか(^_^;)


 さて、自分の好きな記念艦 カッシン ヤングと同じ1/144のフレッチャー級のキットの組み立てに入ります。(カッシンヤングは後期型、キットは初期型なので違いはありますが)



 まずはレイアウトに置くので、フルハルのキットをウォーターライン化します。

 やり方は、とある掲示板から教わった方法で、ダイモのテープをガイドに使います。



 ダイモとはテプラなどのラベルテープが発売される前に主流だった打ち込み式のテープ打刻器で、テプラに市場を奪われた過去の製品と思いましたが、現在でも新製品が発売されています。
 ダイモはプラスチックのテープで、テプラのテープよりも堅く厚いので、定規代わりに湾曲した部分に貼って使えます。

 ダイモのテープをガイドにしてPカッターで船体の喫水線の下の部分を切断します。

 本物の駆逐艦は機関銃の弾で穴が開くくらい、外板は薄く作られていますが、このキットの外板はかなり厚く成形されています(^_^;)



 ダイモテープをガイドにしてPカッターで切断します。最初は力を入れずにPカッターで、軽く傷が付くくらいで溝を掘っていきます。 そして2度3度と少しずつ力を増し加えて、溝を深くしていって、船体を切断していきます。



 切断が終わったら、ヤスリで切断面をきれいに整えていきます。



 船体の切断が終わると、塗装作業に移ります。

 今回はパーツの段階で塗装することにします。

 使い塗料はタミヤ アクリル塗料をエアブラシで吹きます。 

 キットの箱絵は1942年当時の迷彩塗装で複雑に塗られていますが、2000年以後の記念艦に仕上げるので、迷彩塗装はせずにダークグレーで塗装します。

 以前、1/700の艦船模型を作ったいた頃は、塗料にも凝っていて、PIT-ROADのWW-?米海軍ライトグレーWW-?米海軍オーシャングレーなどを使ってましたが、最近のPIT-ROADの塗料は供給が不安定で、今回のような大型モデルの塗装最中に塗料が切れたら制作が止まってしまうので、安定的に供給されているタミヤの塗料を使いました。



 余談ですが、以前は帝国海軍の艦船を作っていた頃は、佐世保海軍工廠色や呉海軍工廠色などといった同じグレーでも色合いに気を使ったのですが、最近はあまり気にしないことにしました。
 
 第二次大戦中の日本軍の艦船の場合、塗装は工廠で塗られた場合を除いて、各艦に支給された黒と白の塗料と溶剤を混ぜて塗装するので、混ぜ具合によってグレーの色合いが異なっていたそうで。
 最近読んだ記事では海自の護衛艦の塗装も、乗組員が塗装する場合は、グレーの塗料が補給されますが、それを希釈する溶剤の量によってもグレーの色合いが異なるそうで。
 
 なによりも、軍艦のグレーというのは、少し離れてみると、天気や太陽の光線の当たり具合やで、グレーの色が濃く見えたり、薄く見えたりするので、なかなか難しいものです。
 今回、横須賀軍港巡りの遊覧船から護衛艦ひゅうがを眺めていましたが、遊覧船が進むにつれ見る角度が変わってくると、護衛艦ひゅうがの色合いが刻々と変わっていくのが印象でした。







 船体や武装などはダークライトグレーを使い、甲板や上部構造の上側はデッキブルーという青みがっかった色で塗装します。

 タミヤの1/700のフレッチャー級のキットの塗装指示を見ると、FX17 シーブルー 2:FX9 ハルレッド 1の割合で混色して色を作れとの指示があります。



 このレシピで混色した色は、ジャーマングレーのような濃いグレーのような色になり、レベルのキットの完成見本の甲板の色は少し明るめのデッキブルーになっており、だいぶ差異を感じました。



 とりあえず、この色をエアブラシで吹いてみると、かなり暗めのデッキブルーになりました。



 しかし、後になってインターネットの画像検索で、大戦中のアメリカ艦の甲板色を見たら、タミヤのレシピで作った色の方が正しいらしく、タミヤの説明書を疑って申し訳ない・・・・・

 
 甲板全体の塗装が終わると、通行帯の塗装を行います。
 レベルの説明書によれば(タミヤの1/700の説明書には、さすがに通行帯の記載はなかった)ジャーマングレーが指定されていましたが、それよりも少し明るめのニュートラルグレーで塗装しました。
 マスキングテープを貼って、筆で塗りました。



 早く船体を組み立てて、船の形にしたいのですが、組み立てる前に通行帯に滑り止めのディカールを貼ったり、ハッチや甲板上の装備品の塗装も行わなければならないので、船体の組み立てはそれまでお預けです。



 次回は、何とか船体を組み立て、進水させたいと思います(^_^)                           

           


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