レイアウト制作記#213
              更新日2011年7月9日更新         

2011年6月11日(土) (番外編)被災地訪問#4 (釜石市)                                              Kamaishi-city 


 気仙沼市から陸前高田市、大船渡市と各都市への移動時間は概ね15分でしたが、大船渡市から釜石市までは40㎞ほど離れており、道路の大船渡三陸道路という無料開放中の自動車専用道路を通っても、一時間ほどかかります。
 大船渡市を12時30分頃出発し、途中道の駅さんりくで昼食を取っているうちに雨がやみ、一転して晴天になりました。
 釜石市に着いたのは14時頃でまもなく、3ヶ月前に地震があった14時46分に近づいてきました。


 
 大船渡市から釜石市に向かうまでの道では、今までの3市では見掛けなかったものを見掛けるようになりました。
 
 仮設住宅も見掛けます。 仮設住宅を設置する高台には十分な敷地面積が取れないので、どうしても小規模な仮設住宅が目立ちます。



 被災地に出掛ける前のミーティングでは、海外から頂いたお金で行う支援事業は、都市は他のボランティアや組織の支援があるので、自分たちは、支援の手が及ばない郊外の小規模な集落に対する支援をやりましょうという合意がありました。

 しかし、今回の訪問では気仙沼市、陸前高田市、大船渡市と市街地ばかりなので、視察先はこれでいいのか?  という疑問が参加者の中から出てきました。

 私はメンバーの中でナビゲーターとリーダーの副官役をしていたので、支援対象は都市以外の地域だが、支援を行う場合のベースを都市に置くかもしれないし、輸送支援では郊外の地域と都市を結ぶことになるので、都市の現状を見ておくのも今回は必要なので、これでいいのだ!
 という結論にまとめました。

 そんなわけで次の都市の釜石市に向かいます。


 釜石市に近づくと、地震で破損した道路の補修作業が何ヵ所かで行われており、片側交互通行の影響で度々渋滞しました。

 

 国道上に国道事務所が設置した 「津波浸水想定区域」 の看板があり、国のハザードマップでの想定区域は危惧したとおり津波の被害にあいました。
 問題は、想定区域外における死者・行方不明者が全体の65%も発生してしまったことです。 津波に対する防災意識が非常に高い地域でも、想定外の高さの津波に襲われると甚大な被害が発生しました。
 この悲惨な体験も、後世まで映像と共に語り継がれることでしょう。 同じ被害を出さないように。
 


 釜石市に近づくと被災地に赤い旗が立っていました。

 赤い旗には2つの意味があります。
 1つは、被災した家の持ち主が立てたもので、被災した家も瓦礫も撤去して欲しいというサインです。
 家を残して欲しくて、瓦礫のみを撤去して欲しい場合には黄色い旗を立てるそうです。(現地で私は黄色い旗を目にすることは出来ませんでしたが)
 もう一つの意味は、自衛隊や米軍・警察・消防などの救助隊が行方不明者の遺体を発見した場合、発見した場所に目印と記録のために赤い旗を立てました。

 多くの赤い旗を被災地で見掛けましたが、2つの意味は明確に区別することは出来ませんでしたが、赤い旗が2本、3本まとまって立てられている光景は胸を痛めました。



 釜石市内の海岸沿いの工場地帯に入ります。



 工場の建屋は残っていますが、甚大な津波の被害が生じていました。



 津波がスチール家具工場の中に入り込み、工作機械も津波によって破壊されていました。



 今までの被災地はすべて重機が動いて、瓦礫の撤去作業を行っていましたが、ここ釜石市だけは重機は停止していて、被災地は静けさの中にありました。



 被災後3ヶ月で、とりあえず道路上の瓦礫の撤去は完了しましたが、工場内の瓦礫はまだ大量に残っていました。



 積み出しを行う港の岸壁も大きく破損していることもあり、工場の復興には時間がかかりそうです。



 港湾地区に行くと、出港する1隻の白い船が。



 海上保安庁で一番大きなヘリコプター搭載巡視船のしきしまでした。 建造目的はフランスからのプルトニウムを海上輸送する際、運搬船をテロリストから護衛するために建造された船です。 1992年に一度だけ護衛任務を行いましたが、任務の性格上いろいろと機密とされている部分が多かった船です。 第3管区所属なので、横浜の赤レンガ倉庫の隣の横浜海上防災基地に停泊しているのを見掛けます。



 釜石市内で重々しい車列を見掛けました。 知りませんでしたが、この日、菅総理が釜石市を訪問し、避難所を訪問してから地震が発生した14時46分に釜石魚市場において黙祷を捧げたそうです。 
 しきしまの出港も菅総理がらみでしょうか。



 どうりで被災地で重機を動かしての瓦礫撤去作業をやっていなかった訳が判りました。
 総理が来ている上に、みんなが黙祷を捧げる時間に、重機を動かして作業しているわけにはいけないでしょう。


 工業製品を出荷していた岸壁を離れ、菅総理が訪れている魚市場と、東前町地区に向かいます。



 被災地にいる国際興業塗装のバスは、系列の岩手県交通のバスで被災地から新日鐵釜石製鉄所の線材工場の大浴場への送迎バスで、災害対策本部が用意したものです。



 東前町地区は道路以外、まだ瓦礫の撤去がなかなか進んでいません。

 堤防をくぐって魚市場側の漁船用の岸壁に入りました。



 西側には菅総理が黙祷を捧げた魚市場の建物が広がり、東側には津波で乗り上げた貨物船の巨体が。



 アジアシンフォニー(M.V. Asia Symphony)(4724トン)でパナマ船籍で、フィリピン人の乗員17人は無事でした。



 海保が撮影したビデオ映像(YouTube)にも、この貨物船が海保の入る合同庁舎に激突しています。



 岸壁に安定して乗り上げたので、転倒防止策は必要ないようです。



 バルスバウが堤防に乗り上げて破損しています。



 道路上に舳先とバルスバウが突出しています。



 釜石市の被災地では最も目立つ存在なので、気仙沼市の第十八共徳丸と同様に津波のモニュメントにという話もありますが、近隣の東前町地区は反対のようです。 なにせ見物人が多いから。



 菅総理被災地訪問に伴うマスコミの取材も多く、地元の人やボランティアの人が菅総理に対する思いの丈を、カメラに向かってぶちまけていました。



 被災地で信号が灯っているということは、電気が通っているということで少しホッとします。



 



 工場の街の門前商店街の大町商店街の一角にある大町子育て支援センターで、ライブが行われていました。
 カソリックの団体が行っていたみたいです。    ここも津波の被害を受けた施設です。



 屋台も出て、被災者やボランティアの心を慰めていました。



 釜石市街地の被災地域は港湾地区と工業区域が中心です。
 鉄橋は三陸鉄道の南リアス線。
 後ろの工場は新日本製鐵の釜石製鐵所です。 津波の被害は冠水した程度で設備には甚大な被害は生じていないようです。しかし、原材料、製品の搬入積み出しする専用岸壁破損の影響が大きいようです。



 三陸鉄道とJR山田線、釜石線が乗り入れている釜石駅周辺は被害は受けていないようでした。
 第二次大戦中、戦艦を中心とした艦隊による艦砲射撃を2度に渡って受け、甚大な被害を受けた釜石市なので、必ず復興すると思います。



 自衛隊の災害派遣も少しずつ部隊規模を縮小しながら継続しています。 
 被災地の復興が早く行われるよう祈ります。

               


 次も大きな被害を受けた大槌町に向かいました。

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