レイアウト制作記#212
              更新日2011年7月5日更新         

2011年6月11日(土) (番外編)被災地訪問#3 (大船渡市)                                              Ofunato-city 


 大船渡市に向かいます。 ほとんどすべての写真が車の車窓から撮影したので、お見苦しい写真もあるかと思います。 
 ここ大船渡までは雨が降り続いていたので、窓ガラスの雨滴が写っているものもありますが、ご容赦下さい。




 陸前高田市から大船渡市に向かう途中(陸前高田市総合農業支援センター)で見掛けたのが、建設現場でおなじみの仮設トイレです。
 これは未だ水道が復旧していない施設や家庭に自治体が設置してくれるそうで、庭先にこれが置いてあると、まだ水道が復旧していない地域だということになります。



 陸前高田市から大船渡市までは、内陸部の国道45号線のバイパス、高田道路と大船渡三陸道路で快適に移動できます。
 バイパスは少し内陸に入り込んでから戻る感じで大船渡市街地に向かいます。

 先に訪れた陸前高田市が市街地の7割を津波で失ったのに比べて、大船渡市はまだ恵まれていました。
 大船渡市役所も、下の写真の大船渡警察署も、病院なども被災を免れていました。



 しかし、港湾地区やJR大船駅を中心とした商業地域が大きく被災していました。

 有蓋貨車が瓦礫の中に置かれていますが、これはJR貨物から倉庫代わりに払い下げられたワムでしょう。
 他の倉庫が破壊されている中、ワムだけはきちんと原型を留めています。 さすが頑丈ですね。

 

 港湾地区の中ほどに大型クレーンが置かれています。



 これは、艀に乗ったクレーンが津波で流されたものらしい。
 




 港湾地区の入口に目立つ建物が3階建ての大船渡商工会議所です。 2階まで大きな被害を受けています。



 港湾地区には防潮堤がありますが、津波には無力でした。
 後方に見える工場は、大船渡を代表する工場の太平洋セメントの大船渡工場です。
 港に面しているために被災して、長期間操業停止になっていますが、6月から陸前高田市と大船渡市の瓦礫を焼却してコンクリートの原材料にする試みがなされています。
 


 また、大船渡市内の廃棄物処理業者も被災を免れており、瓦礫やスクラップの分類がきちんと進められています。
 大船渡の復興は被災地の中でも早いのではないか、との意見もありました。



 しかし、JR大船渡駅前の商店街に行くと、まだまだ大きく被災の跡が広がっています。 



 鉄筋コンクリートのような頑丈な建物は残り、他の建物は破壊されています。
 
 気仙沼市や陸前高田市でも見掛けた三陸の地元スーパー マイヤの店舗の建物は残りました。

 

 しかし、建物の被害は大きく、取り壊しになる可能性があります。



 カモメのオブジェがついた素敵な街灯も倒され、パチンコ台や幟旗などに混じって横たわっています。



 海辺の低いところは津波で大きな被害を受け、高台は無傷という光景が続きます。
 屋根の上に載った漁船の撤去はまだ進んでいません。



 魚市場の近くに大船渡線のキハ110の2両編成が停車しています。



 これは3月11日 大船渡線 盛駅 14時42分発 大船渡駅 14時45分発  気仙沼駅 15時41分発 そして終着一ノ関 16時59分着の338D列車です。



 
 大船渡駅を発車した1分後の14時46分に東日本大震災が発生しました。
 大船渡駅から1.5㎞くらいの地点で停車しました。 その後の津波警報により乗客、乗務員は退避しました。



 その後、先に進もうにも、前回記したとおり、陸前高田方面は線路や橋梁が破壊されています。
 盛駅に戻ろうとしても、停車位置から大船渡駅よりは路盤が崩れており、枕木のところでかろうじて留まっています。 津波が路盤を削りました。
 
 さらに大船渡駅に近づくと線路上が、ありとあらゆる瓦礫やゴミで線路が埋まっています。



 大船渡線の気仙沼-盛間の復興は手つかずです。 復活まで数年を要するかもしれません。

 大船渡駅前から、盛駅前を経て釜石市方面に向かうことにしました。



 途中、盛駅を過ぎたところに地元の商店が中心になって協同組合方式で設立した南三陸ショッピングセンター サン・リアの前を通りました。
 前述の被災した大船渡商工会議所も、このショッピングセンターの中に仮事務所を構えています。



 被災地で住民の皆さんが日常の生活を送られるのをみると、少しホットします。
 
 ただ、店舗から離れたところに住まわれている方、避難所に寝泊まりしている方、仮設住宅に住まわれている方々の中には、移動の手段がない方もおられると思います。  
 被災地で無料の移動手段の奉仕も、選択の一つとして考えております。

              


      製作記のINDEX #  1~100

      #101~150


      #151~200


      #201~250