2011年6月11日(土) (番外編)被災地訪問#2 (陸前高田市) Rikuzentakata-city
宮城県 気仙沼市を離れて、次は市街地の7割以上が津波の被害を受けた岩手県 陸前高田市に向かいました。
東浜バイパス(国道45号線)は内陸部を走っているので、気仙沼から陸前高田の入口までは15分もかかりませんでした。
ただし陸前高田の市街地に入るのには、市街地の西側を流れている気仙川を渡らなくてはなりませんが、渡る橋が津波で3本ほど流されてしまったので、国道343号線の4本目の橋まで上流に向かって川沿いの細い道を上って行かなければなりません。
約10㎞くらい迂回することになります。
三陸の海岸部は津波で橋が流されたり、土砂崩れ等で通行止めの道が多々ありましたが、カーナビゲーションの交通情報に正確に通行止め区間の表示があったので、今回かなり重宝しました。
陸前高田市の市街地とは気仙川を挟んだ気仙町にある気仙小学校、校舎は3階まで破壊され、体育館は骨組みがボロボロになるくらい破壊されています。
捜索と被災地警備のために機動隊の姿を見掛けます。 この日、陸前高田周辺にいらしたのは、大阪府警、京都府警の皆さんでした。
山腹に立つ寺は、陸前高田市気仙町の如意山金剛寺(通称気仙成田山)、避難所になっていますが、ことし4月17日復興を誓い合う花見の会が催されて有名になりました。
高田バイパスと東浜街道の橋が流されたので、気仙川沿いの狭い生活道路が主要交通路となっています。
5㎞ほど迂回路を行くと大船渡線の大畑にある橋梁が破壊されているのが見えました。
平行して走る国道343号線の橋から撮影しましたが(画面下の鉄のパイプは橋の欄干)、ローラーコースターのコースのようにねじ曲げられていました。
4方向からの国道が1本の橋に集中するので、橋の周辺はどうしても渋滞します。 交差点は信号に電気がきていないので、大阪府警の警察官による手信号が行われていました。
高台の街は地震の被害は感じられませんが、市街地に向かって下っていくと津波に流された市街地が見えてきます。 何度も書きますが、津波の被害は被害にあったところと、なかったところとの差が激しいです。
被災地での明るい話題として取り上げられた復興の湯が被災した市街地の外側にありました。
これは市内の大工さんが、祭の山車を保管倉庫を改装したもので、水道が復興していなかったので湧き水を引いて沸かしています。
4月3日にオープンし無料で被災者に提供しています。 こういう支援はいいですね。
被災地域に入ると、戦場のような光景
累々と並べられているのは、破壊された自動車。 保管場所に集めて引き取りに来るのを待ちます。
といっても、引き取る人は極少ないと思うので、自治体が処分することになります。 どちらかというと車内に残された荷物の引き取りに備えているそうです。
裏側から見た陸前高田市役所ですが、当時のニュース映像を見ると避難した屋上ギリギリの高さまで津波が襲い、3階にいたのでは助からなかったので、生存者は屋上にみんな退避しました。 ここは市長以下、市の幹部は無事だったので、場所を移して復興の指揮をとっています。
解体業の人によると、震災から3ヶ月で瓦礫の撤去は順調に進んでいるそうで、瓦礫がコンクリート片、岩、鉄、木材等に分類されており、あとは搬出するだけの状態になっているそうです。
瓦礫の撤去は順調に進んでいますが、更地になったからといって、復興計画が出来なければ堅牢な建物を建てることが出来ません。
再度、津波の被災地に街を復興するのは、愚かなことだとされてます。
しかし、新たに都市を復興させるような土地は見たところ高台には少なく、結局、今までの平地に防災機能を増して造らざるをえないように思えました。
上の写真の少し先に、JR大船渡線の線路が横切っているのですが、ヘドロと瓦礫に埋まって、近づくとかろうじて線路らしきものが見える状態になっています。 もちろん、大船渡線の陸前高田駅の前後の再開は、数年単位で予定されているので手つかずです。
陸前高田の海岸沿いは、高田松原と呼ばれる樹齢300年を越える松が約7万本あまりあった、白い砂浜が続いていました。 それが津波の被害により、砂浜と松原があった場所は地盤沈下で冠水。 7万本あまりの松の木もみな津波でなぎ倒され、わずか1本の松の木だけが残され、それが「奇跡の1本松」などと呼ばれているのは有名な話です。
その一本松は海水が根本を被った塩害で、葉の先まで赤くなっていました。 立ち枯れの危険性があります。 地元の有志により保全の措置がとられていますが、予断を許しません。 復興のシンボルにもなっているので、何とか生き残ってほしいと思います。
一度、震災前の松原を訪れたかったです。 松原が復活するのは100年以上かかるでしょう。
海辺に立つ7階建てのホテルは キャピタルホテル1000。 地元出身の歌手 千昌夫さんが故郷に錦を飾って建築したのでホテルの名前も1000(千)、しかし以前から経済的な理由で第三セクターに経営が移っています。
3階以下が津波の被害を受け、玄関には応急危険度判定では危険の×が付けられています。
同行の建築業の方も基礎がやられていると申しておりました。
まだホテルのホームページは生きていて、震災前の光景が見られ風光明媚な松原の風景が偲べます。
大船渡市に本社がある地元スーパーのマイヤ。 訪れた気仙沼市、陸前高田市、大船渡市、釜石市、大槌町のすべての街で見掛けましたが釜石市の店舗以外は被災していました。 全部で6店舗被災されたようです。
経営的に心配ですが、被災地で出張販売を行なったり、前向きな企業姿勢が力強く感じられます。 頑張ってほしいです。
市街地の7割が被災した陸前高田市は、消防本部も被災しました。 未だに消防車の残骸が置かれています。
地元の消防力がなくなた分、関東や関西の消防本部の消防車が応援で入っています。
海辺に近い5階建ての集合住宅は雇用促進住宅です。
ここも4階までは完全に津波の衝撃を受け、かろうじて5階は無事に見えますが、一部損壊しています。
津波の高さがうかがえます。
これは未完成の橋でなく、 国道45号線高田バイパスが大船渡線を越えるオーバークロスです。 橋台の上に載っていた主桁は津波で流され、反対側に転がっています。
バイパスはオーバークロスの側道を通って線路を越えていきます。
陸前高田市の郊外の農地にも、津波による瓦礫が散乱しており、漁船も流されています。
農地の瓦礫の回収を行っているのは、服装がまちまちなのでボランティアの方だと思います。
ボランティアの皆さんは、側溝のヘドロ除去にも従事されていました。 感謝。
これから、さらに北上して車で15分ほどの大船渡市に向かいました。