レイアウト制作日記#4  2005年2月〜4月  改訂日2011年2月12日更新    TOPへ


2005年 2月19日(日)  エレベーターの設置

2000年に施行となった交通バリヤフリー法により、エスカレーターの設置、視覚障害者誘導用のブロックの設置を行いましたが、ようやく戸崎駅のホームにもエレベーターが設置されました。 
 高齢者、障害者、妊婦等のバリヤフリー設備として設けられています。 私達も乳児をベビーカーに乗せて鉄道を利用する際にも重宝させて頂いております。

JR東日本の駅にあるシースルータイプのエレベーター


 実物のエレベーターは国からの補助金が1/3、自治体が1/3で鉄道会社は1/3の負担で設置できますが、レイアウトでは全額負担をしなければなりません(^_^;)
 市販のストラクチャーでは、なかなか適合したものがなく、唯一あるのがTOMIXのスクェアビル・ラウンドビルについているエレベーターがありますが、実際の駅にあるエレベーターとはだいぶイメージが違います。

 そこで自作することにしました。JR東日本の主要駅のエレベーターをいくつか視察してイメージを作りました。


組立中の素材と完成品(右側)

 ホームセンターで購入した150円の透明プラ製のL字アングル材をスモークグレーで塗装し、2つ組み合わせて箱にしました。エバーグリーンのプラ板をクリーム色に塗装して飾板にして、エレベータードアは一太郎で作成。ドア周りには2oプラ棒をアルミシルバーに塗装してアングルにしました。 
 
プラ板の屋根に、四角の角棒を上半分を黒で塗装し機械室にし、下半分をグレーで塗装してエレベーターの箱のようにしました。





 ★2011年追記・・・・・ホーム用エレベーターもKATOより近郊形ホーム グレードアップセットの中に1個入っています。
  巾はあまり広くないので、TOMIXのホームでもぎりぎり使えると思います。




 良く出来ていますが、籠は再現されていません。 自分の場合、製品のままだと中の構造部分のブラウンの構造体の成形色が薄いので、フラットブラウンで塗装し、屋根部分もフラットブルーで塗装しました。  あとは附属のシール(ドアの脇は自作のシール)を貼るとリアル感が増すと思います。


2005年 2月27日(日) 戸崎消防本部・中央消防署の建築 #1

 
ロゴス百貨店の建築は駅前広場と大通りの整備が終了しないと進まないので、しばらく放置し、もう一つの大型物件、消防署に取りかかることにしました。




 使用したのはドイツ製のキットで、日本の都市の消防署にもよく似た外観になっています。
 昨年のうちに組立は終わっていたので、今回は日本の消防署らしく仕上げることにしました。
 変えたのはガレージ部分の開きドアをシャッターに変え、地元の消防本部を参考にして塗装しました。

  より日本の消防署らしくするするために、実物を参考に看板と防火標語を一太郎で作成して壁面に貼り付けました。 同様に正面玄関には木の看板を取付、実際の消防署から出ているポスターを縮小印刷したものを貼り付けました。

 ガレージの上には、消防隊の士気を高めるための(中国の消防署みたいな)標語が掲げてあります。「訓練は実戦のごとく 実戦は訓練のごとく」(消防署の標語ではなく自衛隊の標語だけれども、いい言葉なので採用しました。この前には同じく自衛隊の標語で「訓練で流す汗は、実戦で流す血を減らす」との標語が掲げてあったが、さすがに救急隊より血なまぐさいとのクレームがついた(^^;) )

 その下には、「出場だ!素早い現着が 市民の生命身体財産を救う!   目指せ! 最速現着消防隊!」という部内向けの勇ましいスローガンが記されています。



 勇ましいスローガンに負けじと訓練に励む消防士達を配置してみました。

 建物の右側では、はしご隊と救助隊が訓練を行っています。 建物の左側に訓練塔(正式名称は判りませんが、消防署に多くある訓練施設)を作って、中央小隊の訓練風景を作るべく、写真の右下に置いてあるのは作りかけの訓練塔の部品です。このシールは一太郎で自作して、3階建相当の訓練塔を作る予定です。
 
 消防車はドイツ製、ぺアーハンズ製、イマジン製、食玩とバラバラです。
現在風にしようと、棒状の回転警告灯を2oの透明プラ丸棒をクリヤーレットとシルバーで塗装しました。(本当は1oのプラ棒にしたかった)
消防車の「中央はしご1」と「中央指揮1」の屋根には高所やヘリコプターから車両を特定するためのコールサインを入れてみました。
 最初はパトカー、消防車、バス等の屋根に入れる文字の為に、大枚6万円以上を投じてアルプス電機の昇華型プリンターを購入すべきか検討しましたが、高価すぎるので代案として、ラベルプリンターのテプラを使い、透明テープ白文字で印刷してみました。 近くで見ると透明のテープ部分が見えますが、印字がきれいな上にかなり細かい字も印字出来ます。 ドアの脇には「戸崎消防本部」のシールも貼ってあります。



★2011年追記・・・・時間を掛けて制作した中央消防署ですが、場所を一度移転した後、マンション建築の用地確保の為に現在撤去されています(^_^;)
  
 いずれレイアウト拡張の際には、消防署も用地を確保して復活しようと思います。

 このあとTOMYTECのカーコレクションから、ポンプ車、はしご車、救急車などが発売されたので、車両関係は一新されると思います。


2005年 3月 6日(日)  戸崎消防本部・中央消防署の建築 #2  
災害監視カメラ用鉄塔と訓練塔?の設置

庁舎の屋上に通信用アンテナと災害監視カメラ用の鉄塔を建てました。 
昭和の時代には消防署には望楼があって、24時間消防官が災害監視を行っていました。しかし電話などの通信手段が発達すると災害発生時には、市民から何本も通報の電話が入電してくるので望楼の役目は終わりました。  

 それにかわりに現代の消防署で活躍しているのが災害監視カメラで、消防署の高所や市役所の屋上などに取り付けられています。 火災発生の入電があると、通信司令室では該当地区に災害監視カメラを向け、炎や白煙の発生状況により、規模の大きい火災であると判断された場合には最初から出動隊の多い第二次出動以上の命令を掛けることができます。
 


 
この鉄塔は建築模型用のアングル材を四角に組み合わせて作りました。それにストラクチャーや艦船模型のジャンク部品を付けてあります。丸いのは県庁や県内の消防機関を結ぶ無線の中継回線に向けたアンテナです。 総務省(旧自治省)と結ぶ回線は衛星通信なので、ただいま衛星通信用のパラボラアンテナは制作中です。

 訓練中の消防隊
  東京消防庁の基準では作業服がレスキューカラーのオレンジなのはレスキュー隊とはしご隊の隊員です。ここでは「中央はしご隊」の隊員がはしご車を使って庁舎の屋上に進入訓練を行ない、「中央救助隊」が庁舎の壁を利用して登頂訓練を行っています。
 はしご車はペアーハンズのエッチング製キットのもので、はしごを伸ばした形にしています。30m級のはしご車になるでしょうか。また今のはしご車はほとんどがバスケットタイプになっているので、これをプラ板で作り、隊員2名を載せて屋上に進入させています。
 人形はすべてPreiserの消防士の人形の未塗装のものを日本の消防風に塗装で仕立てました。 上下オレンジだとメリハリがないので、ベルとの黒い線を入れ、白いヘルメットには階級を表す赤い線を面相筆で入れてみました。
 救助隊はキチンと命綱を付けていますが、高所へロープ1本で登っていく姿には圧倒されます。

 この後は屋上に災害監視用のカメラ用の鉄塔を建て、庁舎の左脇に訓練塔を建ててみます。 


訓練塔(これの正式名称が何というのかWebで検索しても未だ判らず、消防署に聞きにいこうかと思っていますが・・・)は大抵の消防署に設けられているもので、消防署を作るにあたって必須なものになっています。
★2011年追記・・・・その後、消防署に行ったとき、お聞きしたら訓練塔でいいそうです(^_^)
ボードの赤い丸印は、ロープでの降下訓練の際に、足と付ける目標にするそうで・・・

      

 形状も千差万別で、庁舎に組み込まれているものから、足場を組んだものまでありますが、共通しているのは白地に赤い太線二本に赤い水玉が3個付いているボードで、これも使用目的は判りませんが、日中ロープで登坂訓練をしているのを良く見かけます。 これのキットはどこにもなさそうなので、自作することにしました。


    
 基本構造はKATOの詰所のキットの壁面を切断し、建築模型用のH型のプラ棒、階段、手摺、そしてプラ板で組み立てました。コンクリートらしくするためにモデラーズの「インテリアグレー」のスプレーを吹いてから、エアブラシでウエザリングをしました。
訓練板は一太郎でシールに印刷してプラ板に貼り付けました。

 訓練塔の後ろ側には、ホース掛けを設け、使用したホースを干しています。 この白いホースはPreiserの消防士の人形セットに附属していた白いビニールパイプみたいなものです。
 この後、この訓練塔を絡めた訓練をしている人形を配置したり、衛星通信アンテナを取り付ける予定です。


2005年 3月 12日(土)  戸崎21世紀美術館の建築 #1
 
 消防署に続く大型ストラクチャーの建築として、美術館を建築することにしました。
使用したキットはFallerの2004年のニューキット「Mercedes-Benz Car Dealership」で、スケルトンタイプの4階建てのビルにベンツのエンブレムがこれでもかと並んでいます。




 
駅前にベンツのカーデーラーがあってもしょうがないので、中心市街地の活性化の為に人が集まる施設、市立美術館を建てることにしました。
 参考にしたのは2004年10月9日に開館した、金沢市の金沢21世紀美術館です。現代では新しくできる美術館は都市の郊外が多くなっていますが、ここは中心市街地に立地し、来館者により中心市街地を活性化させようというコンセプトを持っています。
  まだこの美術館には実際に訪れていなく、テレビでの紹介とWebサイトを見ただけですが、美術館を作るのなら中心市街地にという私の持論を具現化したような、この美術館には大いに関心があります。 以前の成功事例としては、1990年にオープンした水戸市の水戸芸術館で、ここも中心市街地に立地し、来街者が立ち寄れる施設になっています。
 私の地元でも美術館がオープンしましたが、街の郊外に造り、来館者のほとんどが自動車利用者で、来館者の少なさに苦しんでいます。そして中心市街地では閉店した百貨店や統合した金融機関の店舗などの大型空き店舗が目立ち、寂れた中心市街地を演出しています。
 中心市街地の新しい美術館は駐車場の確保には頭を痛めますが、駅前に立地することにより来館者を公共交通機関の利用に誘導することがでるでしょう。そして中心市街地に人を呼び込みます。



 今回はベンツカーデラーからの改造で、このキット$88くらいする大型キットで、外国製の大型ストラクチャーキットを作り始めるときの、わくわく感は大いなる喜びです。
 一応、美術館なので通常、高名な建築家の設計によるものが多いのですが、基本的な形状はキットのままとして、他の建物とは違った塗装で美術館らしさを出していきたいと思っています。 七難を隠すには黒がいいというわけで、黒色(インテリアブラック)を基調として、白色(ホワイトサーフェーサー)でアクセントを付けてみました。
 



 
ストラクチャーとしては大型ですが、実物の美術館に比べたら遙かに規模が小さいので、街角美術館というコンセプトです。



 
このキットは4階建てですが、建物の部品が同じファーラーのミニスーパーマーケットと共通部品なので、それを利用して1階増した5階建にしてあります。



 
また、せっかく室内を見せるガラス張りの建物なので(もちろん美術品保護の為、紫外線防止の遮断ガラスを使用)、中の収蔵品や、来館者を配置する予定です。 収蔵品の一部は安く上げるために、食玩でさらし売りの105円の処分品を活用するつもりです。


2005年 3月20日(日)  戸崎21世紀美術館の建築 #2

 前回に続き、美術館の内装を施工後に、5階建ての美術館を完成させました。 ただこれだけでは手狭なので、手持ちのFallerのキット「Cafe」を繋げて拡大し、ベースをプラ板で作成しました。 (まだ看板や、周辺部は出来ていません)


 
  駅前広場から見える美術館の前には岡本太郎氏作「太陽の塔」の8分の1サイズのものが立ち(食玩タイムスリップグリコ)がそびえ立ち、4階のテラスにも太陽の塔を中心とした大阪万博のお祭り広場のミニチュア(同食玩)が展示され、この戸崎市が故岡本太郎氏とどのような所縁があるか判りませんが、美術館のシンボルになっています。 太陽の塔の背面に付いている3番目の顔が付いている背面を、 後ろの建物の3階から見ると、特に美しく見えます。

 美術館の1階にはアポロ13号の食玩やワールドタンクミュージアムの食玩の戦車などの大物が置いてあります。 戦車は美術館の収蔵品には相応しくはないですが、宮崎駿監督のデザインした戦車ならば・・・・
 2階と3階には絵画展示室で、絵画の画像を一太郎でシールを作成し、プラ板に貼り付けてパーティーションにしてあります。
 4階は雑多な展示物(105円の安売り食玩を利用)で、テラスに出ると大阪万博のお祭り広場があります。
 5階は夏休み企画展「ムーミンとその世界」が行われています。

 館内には午後4時現在、29名のお客様と職員2名の人形が配置してあります。

美術館の増築部分に使用した「Cafe」のキット


   
 追加した、部分は1階がメインエントランスとミュージアムショップがあり、2階には市内の有名レストラン「King of Kings」のカフェが入っています。
特徴的な円形のカフェルームは人気があり、午後4時という時間にかかわらず、11名のお客様で満席で、2人のウエイターが忙しく働いています。

 今後は、看板の取付、美術館前広場のさらなる整備を行っていきます。 また美術館の裏を走る肝心のレイアウトのレールが、ストラクチャーの建設にかまけてバラストも撒いていない状態なので、そちらの方も・・・・
 


2005年 4月16日(土) 大阪に太陽の塔を観にいく(^_^)/

 5ヶ月待ちに待ったKATOのジオタウンの駅前施設が発売されましたが、今週はTOMIXのカメラカーのレイアウトでの走行と、今週末は大阪への鉄道旅行で、レイアウトの建築は一休みです。

 
今年の1月に家族で所用で大阪に行きましたが、0歳児を連れての旅行だと思うように動けなかったので、今回はカミさんをだまくらかして(^_^;)一人旅を行いました。
レイアウトを作るのには実物観察が肝要で、都市が連なる東海道を旅してみました。 車窓からや街歩きでレイアウトの参考になるものをデジカメで撮影していきます。
 まず早朝、東海道本線の普通列車の2階建てグリーンで熱海まで(グリーン料金が休日料金で750円とは安くていい)、静岡県内は以前よく歩いているので今回はパスで新幹線で名古屋まで飛び、今日本で一番景気のいい名古屋の街をみながら、名鉄空港特急「ミュースカイ」2000系中部国際空港セントレアへ。

民活空港の様子を視察してから名古屋に引き返して、去年の月に 開通した名古屋臨海高速鉄道あおなみ線を終点の金城ふ頭まで往復。 景気のいい街をみるとこちらの心も豊かになる気がします。 そして最近日本全国どこでも、大きいことはいいことだのイオングループ(ジャスコ)様が、大規模ショッピングセンターをオープンしていることを実感。
 名古屋から大阪までは、東海道本線を長野発の「特急ワイドビューしなの16号」で、岐阜、滋賀の街並みを観ながら大阪へ。 
人々が左側を歩き、エスカレーターでは右側に立つのを見ると大阪にきた実感が湧いてきます。 大阪駅前のヨドバシカメラでジオタウンの駅前施設セットと対面し購入。
その後、宿泊場所の東横イン新大阪中央口本館へ。 このホテルは安いこともありますが、本館の一部の部屋が東海道本線に面しているので、チェックインの際には鉄オタらしく「線路側の部屋を」と普通の人が嫌がる部屋をリクエストしてフロントの人を戸惑わせましたが(^^;)、部屋からは普通列車、新快速、特急、ブルトレ、貨物列車などが窓下を轟音を立てて走り、上空には大阪空港へアプローチする航空機も眺めることが出来ました(^o^)
 
 次の日は朝から新快速に乗り、神戸・須磨・明石などの街を視察。 神戸は震災後しばらくは歩道などがひび割れたりして、震災の爪痕が刻まれていた街も震災後10年がたち、震災の爪痕を探すのが困難なくらいに復興してきました。 新しいくなった街だけに参考になることも多く、戸崎駅前の整備の構想を練りました。
 大阪への戻りはJRでなく並行路線の山陽電鉄阪神直通特急に乗りましたが、行政の駅前広場への社会資本の投下はJRの方が圧倒的に大きいのを実感。
 大阪の複数の商店街の視察の後、スーパーキッズランド日本橋店へ。
 ここに来た目的は、地元のプラモ屋ではいくら発注しても入荷しないモデラーズのインテリアカラーのスプレーが常時在庫しているので(でもまもなくコンクリートの表現に最適なスエード調素プレイのつや消しグレーが発売される)購入し、ついでに関東地方ではとうの昔に姿を消した車両セットも購入しました。 そしてプラモコーナでもレイアウトの材料を購入した上に、10年間探していた強襲揚陸艦のキットが再販されたらしくこれも購入したので大荷物に(^_^;)
  
その後、大阪市営地下鉄堺筋線、阪急千里線、大阪モノレールを乗り継ぎ、万博公園へ。目的は制作した「戸崎21世紀美術館」に展示した岡本太郎氏作の「太陽の塔」の本物を見に行くことで、以前に大阪モノレールの車中から見たことがありましたが、今回はすぐ近くで、見てみたかったので・・・・

  
 万博記念公園駅から、降りると中国自動車道路を挟んで太陽の塔がそびえ立っているのが見えます。 初恋の恋人に再会したような気分に(^^)/
 周辺には遊園地のエキスポランドや日本庭園、自然文化園など見所がいっぱいですが、スーパーキッズランドで時間を使いすぎてしまったせいで、ここで許容される時間はわずかに20分、持ち前の早足を生かして高速道路を橋で渡たり次第に近づいていくと、自然文化園の入場ゲートが現れてきました。  事前に下調べをしてこなかったのがいけなかったのか,滞在時間が5分しかないのに入場料を払ってもと思いましたが、なんと言っても初恋の恋人、入場料を払ってでも近くに行ってみることにしました。
 ゲートをくぐり、太陽の塔に近づいていくと遠くから眺めたときよりも高さ70mの巨大な塔の大きさを体感出来ました。 特に長さが25mもある腕を下から眺めた時には、見に来て良かったと、しみじみと思いました。
 名残を惜しむように太陽の塔を2周してから、太陽の塔の元を去りました。 本当は下のレイアウトの子供の人形のように太陽の塔に触れたかったけれども、柵があって近づけませんでした(^^;)
 時間のないなか、来た記念に売店で太陽の塔グッツを買い求め(下の写真のソフビ製の太陽の塔を1,360円で。出来はタイムスリップグリコよりも落ち、かつレイアウトに置くのは大きすぎるでの使うのは断念。 これをNゲージスケールに直しても実物の1/4のサイズで、いかに実物の太陽の塔が大きいのかが判ります)、新大阪駅に向かいます。 
 新大阪駅からは新幹線「こだま」で東京へ。 使用したのがプラットこだまのグリーン車プランで、東京までの4時間あまり、1両に乗客が2名というがらがらのグリーン車の中でくつろぎ、各駅停車だけれども、米原、豊橋、浜松、静岡、三島、小田原で「のぞみ」や「ひかり」を先行されるために6分くらい停車するので、ホームの散策、駅弁購入と楽しめます。 ただこれは切符でなく、企画旅行扱いなので、目的地変更や乗り遅れの際の救済措置がないために、太陽の塔のところでは、20分ほどの滞在時間で、モノレールの駅から太陽の塔への往復と、写真撮影、おみやげ購入といった、特殊部隊の奇襲作戦のように鮮やかな手際の訪問をしなければなりませんせした<(^_^)     
 次に来るときには子供も連れて来てゆっくりしよう・・・・

 名古屋、関西の訪問でレイアウトの作成に対する動機付けになる旅でした。


  

★2011年追記・・・・この後も、岡本太郎作品には凝りまくり、各地の太陽の塔を求めて、川崎市の岡本太郎美術館、渋谷区青山の岡本太郎記念館や、他の各地の岡本太郎作品を訪れました(^_^)
 この後も、レイアウトに岡本太郎氏関連のポスターやオブジェが登場しております。
 


製作記のINDEX #  1〜100 
製作記のINDEX #101〜150
製作記のINDEX #151〜200
    TOPへ