平成16年度 陸上自衛隊 第16機動旅団 観閲式

2004年10月8日掲載  
2004年10月26日一部改訂(当初、第14機動旅団を名乗っていましたが、四国の第2混成団が旅団化されると第14旅団となり、さらに沖縄の第1混成団が中国の脅威増大を鑑み、島嶼防衛のため増強して旅団化することになり、第15旅団となることが発表されたので、実在の部隊と番号が重なるので、謹んで第16旅団に名称を変更させて頂きます)

  追記:新潟県中越地震の災害派遣でご活躍中の自衛隊の皆様には感謝の気持ちを捧げます。
 特に今年は水害、相次ぐ台風への対応に追われ、忙しい日々を送っておられたのにも関わらず、今回の地震での派遣でご苦労されているかと思います。
 今回の地震では、初動体勢も素早く、全国から応援部隊も続々集結しております。
 また新潟を担当している部隊、第12旅団がヘリコプターによる機動を目的とした、空中機動旅団として完結していたことの幸いを感じております。  


 

 発売されたばかりのコナミの食玩「陸上自衛隊 装備大全 第壱弾」(315円)を箱買し戦車等を並べてみたら、 その光景に感動し、観閲式を実施することに相成りました(^_^)
 
 実施会場は戸崎駅前大通りの片側3車線を通行止めにして行いました。
 まだここは区画整理が終わっていない地区で、区画割りを検討する為にプリンターで道路の幅だけを印刷した型紙が敷かれただけの場所で、建物も仮に置いてあるだけで、道路も歩道も交差点も出来ていません。また観閲官や大勢の観客もおりません(>_<)
 従来の計画ですとレイアウトの一角に陸自の駐屯地を造る予定でしたが、大型商業施設に都市計画が変更になってしまったので、自衛隊の皆様をお慰めするために、大通りでの観閲式を許可致しました。 観閲式の実施により隊員の士気向上と市民の自衛隊に対する理解も深まったと思います(^_^;)
 
 東京都でも革新の美濃部知事になるまでは陸自の中央観閲式は,、昭和30年10月1日から神宮外苑絵画館前で行われていて(現在は昭和48年より朝霞駐屯地脇の演習場で実施)、参加する車両部隊は朝霞駐屯地から川越街道を東進し、新宿経由で神宮外苑まで行進し、また終了すると同じルートを戻りましたので、このような光景が見られたかと思います。
 最近では地方において、市街地で車両、人員等が行進したり(福知山市など)、我が街でも消防の出初め式と陸自の年頭初飛行訓練が合体して、市街地上空を航空機部隊が堂々と祝賀飛行するなど、年々自衛隊に対する国民の理解度が上がってきたのが感じられます。
 それでは観閲式の模様を写真でご覧下さい。


第1梯段 偵察バイク×4 (機甲科 第16偵察隊)
 
73式装甲車に2台づつ付いている偵察バイクです。市販のモトクロス用のバイクを自衛隊仕様にして納入されたものです。
塗り替えれば普通の走行中のバイクとして通用しそうです(胸に89式小銃を抱えていますが・・・)。
 この他に73式小型トラックや87式偵察警戒車も行進に参加させたいですが、そのうち装備されるでしょう。(「陸上自衛隊 装備大全 第弐弾」以降で)



第2梯段 89式装甲戦闘車×1 73式装甲車×4(普通科 第88普通科連隊本部管理中隊・第2中隊)
 
第16機動旅団の88普連は自動車化されているので普通科(歩兵)部隊はすべて車両で移動することが出来る(つまり人数分の乗物が用意されているということで米軍では当たり前のことだけれど、自衛隊には予算の関係で用意されていないのが当たり前になっている。 最近は多賀城の22普通科連隊のようにようやく自動車化された普連が出来た)。 
 第二次世界大戦より前は戦車は歩兵の支援兵器で、歩兵の後に付いていくものだったけれど、ドイツの電撃戦以来戦車が攻撃の主役になると戦車の後を歩兵が付いていくようになりました。戦車のスピードに追いつくためには歩いてはられないので自動車化し、さらに砲弾が飛び交う戦場で安全性を高めるために装甲化し、不整形地を走ることがある戦車に付いていくために無限軌道(キャタピラ)を装備するようになりました。  しかし最近は世界各地で道路網が整備されるようになり、パンクレスタイヤを履いた装甲装輪車が多くなり、イラク派遣の陸自部隊の車両がかくのごとし。

 89式装甲戦闘車は旧ソ連のBMP、ドイツのマーダー等から影響を受けたもので、歩兵を運搬するだけでなく、機関砲や対戦車ミサイルを装備し戦車や装甲車と渡り合おうという思想から造られました。   アフガニスタンで旧ソ連のBMPが簡単に歩兵携行のロケット弾でやられたことから、存在に疑問視されましたけれど、湾岸、イラク戦争では米軍のM2ブラッドレー戦闘車が活躍したことで、再び脚光を浴びました。    30o機関砲に79式対舟艇対戦車誘導弾という世界有数の火力を持つ89式だけれども、性能の高さと調達数の少なさ(年間1台)から、主力戦車の90式戦車よりも随伴する89式装甲戦闘車の方が価格が高いという、笑うに笑えない状態になっています。
 



第3梯段 野戦特科 82式指揮通信車×1  75式自走155oりゅう弾砲×2   (第16特科隊 第1中隊)

 砲兵は戦場の華(byナポレオン)と言われた火砲を持つ部隊で、以前は特科(砲兵)連隊だったけれど、リストラにより師団から旅団に縮小されたさいに、特科連隊から特科隊に縮小されています。 
 火砲は自走化していないと、移動し発射準備を行い発射するまで時間がかかり、さらに近代戦では火砲を撃つと短時間で敵の砲弾や航空機が来る可能性が高いので、発射後速やかに移動する必要があるので自走化が望ましくなっています。
 75式自走155o榴弾砲は北海道を中心に配備されていましたが、射程距離の不足から99式自走りゅう弾砲に更新される予定です。
 82式指揮通信車は自走砲を指揮する車両で、火砲は個々の砲が勝手に撃つわけでなく、グループで指示された目標に対して射撃するものなので、特科にはこの指揮通信車は必要べかざる車両となっています。 他に発射データーの為に風向力、気温等と観測する車両や、敵の砲弾の発射位置を測定する対迫レーダーや、速やかに弾薬を補給する弾薬給弾車など、特科には必要とする車両が多くあります。

   



第4梯段 74式戦車×4  (機甲科 第16戦車隊 第2中隊)

 

 
陸上自衛隊の5代目戦車(当初は特車と呼ばれていた)、国産2代目戦車の74式戦車です。 採用から30年が経ち、先代の61式がようやくすべて引退したと思っていたら、74式も早くも引退が始まっています。 先代の61式戦車までは鉄道輸送を行っていたので、横幅が国鉄の車両限界を考慮しなければならならず、横幅の狭い高い車高になっていましたが、74式からは鉄道輸送を考慮しなくなったので低い姿勢の安定したデザインになりました。 大型トレーラーの車両トランスポーターに載せて道路を移動しています。
(キャタピラ履いたのが自走で100q200q移動するとたいていはどこか故障するので、普通戦車は戦場に行くまではトランスポーターで移動しています) 

 第16機動旅団は機甲戦力に力を入れており、通常の師団は戦車大隊が所属していますが、当旅団には大隊よりも大きく連隊よりも小さい戦車隊が所属しています(その代わり旅団編成では普通科連隊4個のところが3個になっている)。
 北海道以外で初の90式戦車の部隊編成(他に富士教導団戦車教導隊(規模は連帯規模)と土浦駐屯地に教材用が配備)になりましたが、数が揃わず第1中隊のみが90式で、他の中隊は74式戦車が配備されています。
 
 コナミの箱買いでは2台しか揃わなかったので、2台追加で購入しています。一部、無限軌道がよたっているものもあります。
 


第4梯段 90式戦車×4  (機甲科 第16戦車隊 第1中隊)
 

 日本の主力戦車で北海道と富士学校に配備中です。 ドイツ軍のレオパルドIIA4のように砲塔は垂直な装甲板で覆われていて、74式戦車とはデザインを異にしています。 太平洋戦争中、敵の戦車に対抗できない非力な戦車で戦わざるを得なかった状況に、よほど懲りたか、仮想敵の旧ソ連が戦車王国だったということもあるのか、戦後の陸自は戦車の開発には力を入れていて、90式で戦車に関して世界水準に達したと言われています。 (ただ不安はM1やレオパルド、チャレンジャーは戦訓を生かして改良を続けているのに対して、90式は開発当初から見た目があまり変わっていない)
 
 
重量が約50tもある90式戦車をいくらゴムパットを付けた無限軌道に代えたからといって、市街地を走らせるのは問題かと思われますが、旅団の目玉なので観閲式に参加させております。
 重量の関係で駐屯地や演習場の中だけしか走れない戦車(ヨーロッパや韓国では町中を戦車が演習で走り回っているが)を、日本の国土事情を考えずに主力戦車として配備していいのかと論議されていますが、90式戦車が日本にある以上、日本に侵攻を企てる国は90式戦車に対する対抗手段を運搬してこなければならす、相手に負担を掛けて侵攻の意図を挫くという抑止力があるとされています。
本物の観閲式ならば、戦車の砲塔には車長と砲手(74式は装填手)の2名が立っているはずですが、そこまでは準備出来ませんでした(^_^;)

 


 平成16年度の観閲式も無事に終了し、次回開催されるのは来年の自衛隊記念日(平成17年11月1日)頃です。
 平成17年度の観閲式にはさらに多くの車両部隊(コナミの食玩「陸上自衛隊 装備大全」も第弐弾、参弾と発売されているでしょう)が参加し、その頃にはこのレイアウトも建築が進み、道路も舗装され、歩道も整備され道行く一般市民も多くいて、下の写真の駅前バスターミナルも完成していることを戸崎市長として祈っております(^_^;)


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